早いもので2月も4日(火曜日)になりました。
今日~ここ数日間は今季最高の寒さが続くとのことー。
普段は、ほとんど雪の降らない「讃岐平野」にも今朝は朝から
北西からの冷たい風と共に粉雪が舞っていましたが、午後からは本格的に
雪が降り続いています。
もし、このまま降り続ければ明日は雪が積もるかも知れませんね。
雪慣れしていない南国の私たちは心配です。
●これより以下は・・・昨日(2月3日)の画像になります。
昨日は、しん子さんを見送った後>>>歩きに出かけました。
画像は2月3日・9時過ぎのJR駅前の広場です。
後方に見える山は「像頭山・こんびら山&大麻山」ですね。
駅前~まずは>>>こんぴら山の麓まで歩きます。
昨日は・表参道も・裏参道も通らず・・・旧四国の道を単独で歩きました。
今回の目的は・「坂本竜馬さん」にお会いすることにありました。
この街道は当時・讃岐(香川県)と土佐(高知県)と伊予(愛媛県)を結ぶ唯一の街道でした。
土佐の坂本竜馬・中岡慎太郎・ 長州の高杉晋作・・・らが通っていた街道です。
昨日も寒い朝でしたが・人は心一つで心身共に暖かく感じるものなのですねー・
翔真さんは、歩いていると不思議と元気になって来るのです。
冷たい北風の中にも春が近いことを感じとる事ができます。
北風の吹きぬく寒い朝の野山を歩いても苦にはなりません。
むしろ歩いていると楽しいです。
冬の寒い朝・誰れ一人として「歩いている人の姿」を見ることはありませんでした。
ふっと見ると・・・スイセンの花が一凛だけ咲いていたので撮りました。
寒さにも負けず可憐なスイセンが・春の近いことを告げていました。
旧四国の道は・「四国遍路道」とは別にある「四国を一周するコース」です。
私は20代の頃から、この「旧四国の道」の「讃岐の道」を「しん子さん」と
一時、歩いて挑戦しましたが・完歩するには至っていません(笑)
●この画像の「金毘羅街道」は今は舗装していますが・・・
現在も、まだ舗装もしていない山道もかなりあるものと思います。
この画像は。。。街道の途中にある墓所ですねー。
つまり・・・墓地ですね。
この地域の有名人の墓所ですね。
●この墓地の中の墓の一部に「親鸞聖人」直筆サイン入りの墓がありますがー。
それはウソだと私は思っています(笑)
法然上人さまは「讃岐に島流しの刑」で追放されて来たようですが・・・
親鸞さまは、四国には来られた形跡がありませんからねー。
映画のロケ地にもなりそうな・静かな道が続きます。
春夏秋冬・どの季節に歩いても心地よい気分になります。
単身で歩くのもよし・友と共にあるくのも善し・ストレス解消・健康にも良しです。
JR駅から、ゆっくりと歩いても、1時間もあれば「牛屋口峠」が見えてきます。
峠の手前が少し広場になっていて、道沿いに「お地蔵さま」の建物があったので
お参りしました。
お地蔵さんから・・・少し進むと「竜馬さん」の銅像が見えてきました。
少し写りが悪いですが・・・「坂本竜馬さん」の銅像です。
腰には脇差の刀をさしています。まぁ、まぁ~・・・の男前ですね(笑)
●竜馬さんの後方に赤く咲いているのは山茶花の花かと思います。
後方には・・・鳥居さんが見えますね。
伊予(愛媛県)~歩いて来て・鳥居をくぐって入ると讃岐の牛屋口峠になります。
鳥居さんの入り口にある・これは「獅子」でしょうかねー?
この地域の人々は毎年、この近辺で「讃岐佐文の獅子舞」祭りをしているみたぃです。
この鳥居さんの傍らには数え切れないほど多数の石灯篭があります。
約50灯篭ほどありましたが・その大半は土佐(高知県)の豪商が奉納したようです。
長州藩の人の名前が刻まれいたのも少しありました。
この牛屋口峠の周辺は・当時「こんぴら参り」に来られる人々で賑わっていたようです。
牛屋口峠から下って・・・来た道とは違った県道まで出て来ました。
更に、県道を東に向かって歩き続けます。
枯れ果てた池と・よう分からん石碑があったので撮りました。
これは・・・何の石碑でしょうかねー?
ようわからんけんど・手に剣を持って・怖い鬼さんみたぃな顔をしていました。
更に歩いて街中へ出て来て・空を見上げると・・・青空が広がっいました。
束の間の青空でしたが・・・・やはり青空がいいですねー。
今日も午後からは雪です。
多分、今日の牛屋口峠は雪が積もっているかも知れませんね。
更に歩いて我が家まで帰ります。
ここにも昔のなごりの石の標識があります。
右へ○○・・・と刻まれていましたが? よく分かりません。
ここまで歩い来ると・我が家も間近です。
朝の9時に我が家を出て約2時間半程度の朝の散歩でした。
●この後・久しぶりに○○さんのお宅へ寄ってから帰宅しました。
●下の動画は・記事と全く関係ありません。
令和の○○です・
まんが日本昔ばなし 💛