願わくわ花の下にて春死なん その如月の望月のころ
西行法師は自分の願いのとおり 如月の望月の頃に亡くなったそうです。
本当にそうだったのでしょうかー? 如月といえば2月です。
咲いていた花は桜ではなく 梅の花だったのかもしれませんね。
西行法師といえば、元は由緒ある北面の武士だったはず。
23歳にして妻子を捨て出家し放浪の旅に出ます。讃岐へ来て西行が歩いたはずの、
その道を私も歩いてみました。
西行は51歳の時に現在の坂出にある崇徳上皇の白峰御陵を訪ねて讃岐へ来られています。そして、空海の誕生地である今の善通寺へも立ち寄ったようです。
善通寺の吉原にある西行庵への道は、今歩いても人里を離れた静かな山道が続きます。
所々に民家はあるものの軽自動車が何とか走れる程度の道で人の気配は全くありません。何の花かは知りませんが、花が咲いていたので撮りました。黄色い花が私は好きです。
西行法師が歩いたい頃は、細い山道であったはず。私が歩いた日も誰れ一人とも出会いませんでした
この日は濃霧で周りの景色は全く何も見えませんでした。晴れていれば周りの山々が見えたはず。
讃岐の山里の庵で過ごしたのは3年~4年だったようですが、ここでの暮らしは心やすらかな日々であったのではないかと思います。
この苔むした石の橋を渡って奥にあるのが西行庵です。この建物は昭和の時代に建てた庵かと思います
竹藪の中にある小さな庵でした。庵のそばに西行法師の歌が刻まれた歌碑がありました。
庵を出て再びビワ畑の中を道が続きます。天気が良ければ周りの美しい景色が見えるのにー。
樹齢、数百年かと思われるような見事な木がありました。
しばらく歩いて進み下ると、かすかに周りの景色が見えはじめました。天霧山が見えます。
下った来た所は池のほとりでした。ここから更に再び歩いて進みます。この道は車道です。
車道に出てからも見事な木々があったので撮りました。
遍路道を歩いていると小さな「うどん店」がありました。今は閉店していて看板だけでした。
閉店している「うどん店」の裏にある「曼荼羅寺」に出ました。72番札所の寺です。
更にここから歩いて再び、ゆるやかな坂道を歩いて車を駐車している場所まで歩きます。
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