弁証法は以下のように説明されています。
弁証法
物の考え方の一つの型。形式論理学が、「AはAである」という同一律を基本に置き、「AでありかつAでない」という矛盾が起こればそれは偽だとするのに対し、矛盾を偽だとは決めつけず、物の対立・矛盾を通して、その統一により一層高い境地に進むという、運動・発展の姿において考える見方。(不明)
上図は一般的な説明に使われる図。下図は上からの下降図。これを見ると弁証法はいわゆる「ツリー構造」になっているのがわかります。
別の説明もあります。
一つの物事を対立した二つの規定の統一としてとらえる方法。
(日本大百科全書(ニッポニカ)「弁証法」の解説)
対立と統一のイメージ
以下はヘーゲル本人の説明です。
対立するものの相互関係
常識的には、区別されたものは相互に無関係であると考えられています。たとえば、わたしたちは人間であり、私の周囲には空気や水があり、動物やさまざな物がある、と言う。ここではすべてのものが別々になっています。
哲学の目的はこれに反して、このような無関係を排してさまざまな事柄の必然性を認識することにあり、他者をそれ固有の他者に対立するものとみることにあります。
たとえば無機物を単に有機物とは別なものとみるべきではなく、有機物に必然的な他者と見なければならないのです。両者は本質的な相互関係のうちにあり、その一方は、それが他方を自分から排除し、しかもまさにそのことによって他方に関係するかぎりにおいてのみ存在するのです。
同じように自然もまた精神なしには存在せず、精神は自然なしには存在しないのです。
ヘーゲル 小論理学§119
主観と客観の同一性が主題になっていますが、ヘーゲルの「小論理学」は仏教で説かれる縁起や不二法門に近いものがあります。その原理自体は簡単なものであるとヘーゲルは言います。
抽象的同一と具体的同一
真正の宗教あるいは知的直観は、ある人にはとても理解し難いものと、またある人には正真正銘の真理と、また別な人には迷信に類するものと見なされています。
しかし真正の宗教の主張が神秘的に思えるのは知性に対してだけなのです。しかもその理由は、実に単純なことです。知性の原理が「抽象的な同一」であるのに対し、真正の宗教、または知的直観の原理は「具体的な同一」であること、これだけのことです。
ヘーゲル小論理学§82の意訳
ヘーゲル(1770年 - 1831年)は、ドイツの哲学者。
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