メッカから数キロ離れたところに、ヒラーという小高い丘がある。611年、すでに40歳になっていたムハンマドは、ときおり、夜通しこの丘の洞穴にこもることを習慣としていた。乾燥して草木の生えないヒラー山は瞑想にはうってつけの場所だったからである。魂の邪魔をするものはなにもないこの丘で、彼は神の啓示を授かる・・・
啓示を受けた洞窟の岩盤にその旨が記載されている。wiki
ヒラー山はムスリムの巡礼者がきそって訪れる場所であるが、山の入口には、「この山は本来は神聖視されるべきものではない」という断りが記されている。wiki
アッラーの啓示
私(ムハンマド)が眠っていると、彼(ガブリエル)は
文字の書かれた錦の布を持って私の前に現れ、「誦め、よめ」と言った。私が「何を誦むのか」と言うと、その布で私の首を締め上げたので、死ぬかと思った。このようなことが三度も続いた。
彼は言った。《誦め、「創造主であるお前の主の名において、主は凝血から人間を創造した」。
誦め、「お前の主は寛大このうえなく、ペンで教えた。人間に未知なることを教えた」。(96章1−5節)
私はそれを誦んだ。誦み終わると、彼は私から去った。私は眠りからさめたがそれは心に書きこまれたかのようだった。
そこを出て、山の中を歩いていると、天からの声を聞いた。「ムハンマドよ、お前は神の使徒である。私はガブリエル」。天を見上げると、男の姿をしたガブリエルが、両足を地平線にそろえて立ち、「ムハンマドよ、お前は神の使徒である。私はガブリエル」と言っていた。私は、彼を見て立ちすくんだまま、進むことも戻ることもできなかった。顔をそむけようにも、ガブリエルの姿は地平線のあらゆる方向に、同じように見えた。前に進むことも、後ろにさがることもできないまま、その場に立ちつくしていた。
ムハンマドの前に現れたガブリエル(ジブリール)
怖ろしくなったムハンマドは、ふるえながら、おぼつかない足どりで山をおりた。冷たい汗が額をながれた。顔はやつれ、両目は熱をおびて輝き、両肩はひきつったように小刻みにゆれ、あまりの狼狽の大きさに、山の崖っぷちから身を投げることまで考えた。胸苦しい、息のつまりそうな荒々しい感情がムハンマドをとらえた。
ムハンマドは、なにを見、なにを聞いたのか。この時に彼はほぼ40歳。人生の試練にきたえられた、分別盛りの商人を、これほどまでに動揺させたものは、いったいなにか。サタンだろうか。だが、どうやらそれは、神の使い、天使ガブリエルが、ムハンマドにその前途を告げにやってきたようであった。そのことをムハンマドが確信するには、さらにくだされる啓示を待たねばならなかった。
この夜、ムハンマドは、ヒラー山での一件を妻のハデージャにだけ打ち明けた。ハデージャはこの一件を知ってからも終生ムハンマドの支えとなる。
つぎつぎに下される啓示は、ムハンマドにとってあいかわらず苦しい試練ではあったが、やがて慣れてきた。啓示のときには、何時間も酒に酔ったような放心状態が続き、からだは震え、たくさんの汗をかいた。そして鎖がすれるような、鳥の羽音のような音が聞こえてくるのだった。ムハンマドは、のちにこう述べている。「啓示が下されるときは、いつでも魂が抜けたような気になったものだ」。
神が人間に直接語りかけることはあり得なかった。ムハンマド以前にも、アダム、アブラハム、モーセ、イエスのような預言者があらわれたが、公けにされた法は、すべて人間の手で書き写されたものだった。しかし、ムハンマドは、神の声が自分に伝えるように命じたことばを、ひたすら「誦む」ことにつとめた。聴衆を前にしての、この荘厳な読誦は、アラビア語でクルアーンとよばれ、ここからムスリムの聖典「コーラン」ということばが生まれた。
創元社「マホメット」
岩波書店「預言者ムハンマド伝」より
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