ルーミーの思想の一つに、旋回舞踏によって「神の中への消滅」という神秘体験の実行が挙げられる。ルーミーの没後、コンヤのルーミー廟を拠点とする彼の弟子たちによって、コマのように回って踊るサマーウ(セマ)という儀式で有名なメヴレヴィー教団が形成された。メヴレヴィー教団では同教団の始祖と仰がれている。
踊れ
苦行のために、
欲望という傷をむき出しにするために、踊れ。
聖者たちは魂の戦場で、
くるくる回りながら踊る。
彼らは血まみれになりながら踊る。
自我の束縛から解放されると、彼らは手をたたく。
自分自身の不完全さから脱すると、彼らは踊る。
楽師たちは恍惚として心の底から太鼓をたたき、手は砕けて泡となる。
葉の触れあう音は見えない。肉体にある耳ではなく、魂の耳で聞かなければならない。
輝かしい魂の国を見るために、冗談や嘘には耳を貸すな。
ルーミーの詩/創元社「スーフィー」p5
音楽の記憶
ある人は言う、私たちの耳を心地良くくすぐるナイもリュートも、突き詰めればその旋律は、回転し続ける宇宙より受け取るのだと。
だが信じる者は、あらゆる定理と推論とを軽々と跳躍してしまう、そして宇宙に響く音という音を、甘くするものは何なのかを知る。
私たちアダムの末裔は、かつて彼と共に天使たちの音楽を聴いた。今となっては、はるか昔の遠い記憶もほころび破けているものの、それでも耳の奥底に残っている、地上の何ものとも無縁の残響が。
ああ、音楽こそは聖なる晩餐、愛する者全ての血となり肉となる。音楽が鳴り響けば、魂は天上の記憶を恋い焦がれて高みを目指す。
灰という灰は光り輝き、魂の奥底に不可視の炎が火の粉を散らす。私たちは音楽に耳を傾け、歓喜と平安をその舌に味わって満ちる。
「精神的マスナビー」より
スーフィーの回旋舞踊
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます