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Black Lives Matter

2020年06月16日 | レッスンDVD

ヨシです。

「Black Lives Matter」

 最近、よくFacebookに出ています。


日本の皆様には、余りピンと来ないかも知れませんが、私は10年間程、黒人ばかりのコミュニティやスクールでダンスを 学んだこともあり、

人ごとではありません。
 
アメリカのデンバーの英語学校に在籍していた私は、ちょうどその英語学校をがある大学のダンス部の人に、

「ダンスを本格的にやりたいのですが、どこに行ったらいいですか」と聞くと、すぐに、ニューヨークという答えが返って来ました。

「では、NYではどの学校がいいのですか」と聞くと、「アルビンエイリー」と言う。それまでは、カリフォルニア行くつもりでしたが、

予定を変更してニューヨークに飛びました。

 全く予備知識もないまま、当時、マンハッタンのブロードウェイ街の真ん中にあったアルビンエイリーという黒人中心のダンス学校に入りました。生徒は世界中か集まっていました。

 そこに2年半通い、バレエの必要性を感じていた頃、トリニダード・ドバゴというカリブ海の国出身の友人から、

「ダンスシアターオブハーレムという、ハーレムにある黒人中心のバレエ学校の奨学金のオーディションに行くからオマエもどうだ」と誘われ、明朝学校の前で待ち合わせることになりました。

 しかし次の日何故かその友人は現れず、行ったことがないハーレムにあるバレエ学校に、仕方なく私1人で行きました。

そこでやったことは、バレエのクラスを受けるだけでした。

すぐ次の日から通うことになり、クイーンズから、マンハッタンに引っ越しました。アルビンエイリーを辞めて、

日曜以外は毎日ここに通うことになりました。

途中から、学校附属舞踊団の2軍のようなグループに入り、公演に出演して

 給料を貰いながらも毎日学校は通っていました。しかし、舞踊団に入って踊るということより、

ミュージカルに出たいという気持ちが段々と強くなってきて、痛めていた膝も良くならなかった理由もあり、

3年半通ったこの2つ目の学校を辞めました。

それから午前中は近くのスタジオでバレエのクラスを、午後は歌や芝居のクラスを取りながら、毎日ヘンリ・リタングという振り付けで有名な黒人の先生のタップダンススタジオに毎日2時間くらい通っていました。
 
 白人中心の学校が沢山あるNYのダンス学校やスタジオの中で、

私のダンスの基礎を学んだと言える十数年は、どういう訳かは3つとも黒人の先生の学校でした。

全くダンスの知識がないままニューヨークに移った私は、導かれるままにこれらの学校に通った訳ですが、

白人であるフレッドアステアの踊る姿を見てダンスキャリアを選んだ私が、

何故、黒人中心のダンスの世界でずっと学んだのか、今でも不思議な気がします。

勿論、黒人だろうと白人だろうとアジア人(イエロー)だろうと、ダンスは同じですが。


 
そんなつながりで、黒人のダンサーとの付き合いは結構あり、今でもダンサーたちとはFacebook等で繋がっています。

多くはバレエ学校のディレクターや先生になっています。
 
 一緒に踊ってくれた皆に感謝、

そして差別には憤りを感じます。

誰もが穏やかに生きることが出来るように、祈るばかりです。

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