松原民報No.1770(2013年8月25日号)の寄稿を紹介します。
山口県光市の特攻基地(人間魚雷・回天)からの復員船が音戸の瀬戸(尾道)で米軍の敷設の機雷に触れ、航行不能になり、国鉄山陽線のキュウキュウ詰めの無蓋車で八月二十五日の朝方大阪駅(梅田)に着いて唖然とした。
一年八ヶ月まえ、万歳万歳の声で送られた大阪駅舎は屋根が吹き飛び、折れ曲がり錆びた鉄の柱。ホームから南を見れば、難波の高島屋などのビルだけ、東は大阪城の天守閣だけの焼け野原。ごみが散乱しているのろのろ運転の地下鉄で天王寺へ、近鉄の阿倍野駅も無蓋ホーム、ようやく来た電車は窓はベニヤ板で真夏の暑さと薄暗い車内は超満員。
ようやくにして着いた布忍駅は草は忙々、駅前は防空壕の残骸。長尾街道を渡って右側の駄菓子屋さんの真っ黒で頬がこけ疲れきった様子のおばさんと挨拶を交わしたのが復員最初の言葉であった。我が家の前に立ったとき、窓際にいた妹が「兄ちゃんや」と叫んだ声は今でも耳に残っています。
元松原老人会会長 山田芳一
1945年当時の
松原市域の人口 32816人
戦死者数 354人
戦病死者数 190人
空襲による大阪府下の被害
全壊・半壊 329489戸
半焼・全焼 14124戸
死者 12620人
傷者 31088人
行方不明者 2173人
罹災者 1224533人
山口県光市の特攻基地(人間魚雷・回天)からの復員船が音戸の瀬戸(尾道)で米軍の敷設の機雷に触れ、航行不能になり、国鉄山陽線のキュウキュウ詰めの無蓋車で八月二十五日の朝方大阪駅(梅田)に着いて唖然とした。
一年八ヶ月まえ、万歳万歳の声で送られた大阪駅舎は屋根が吹き飛び、折れ曲がり錆びた鉄の柱。ホームから南を見れば、難波の高島屋などのビルだけ、東は大阪城の天守閣だけの焼け野原。ごみが散乱しているのろのろ運転の地下鉄で天王寺へ、近鉄の阿倍野駅も無蓋ホーム、ようやく来た電車は窓はベニヤ板で真夏の暑さと薄暗い車内は超満員。
ようやくにして着いた布忍駅は草は忙々、駅前は防空壕の残骸。長尾街道を渡って右側の駄菓子屋さんの真っ黒で頬がこけ疲れきった様子のおばさんと挨拶を交わしたのが復員最初の言葉であった。我が家の前に立ったとき、窓際にいた妹が「兄ちゃんや」と叫んだ声は今でも耳に残っています。
元松原老人会会長 山田芳一
1945年当時の
松原市域の人口 32816人
戦死者数 354人
戦病死者数 190人
空襲による大阪府下の被害
全壊・半壊 329489戸
半焼・全焼 14124戸
死者 12620人
傷者 31088人
行方不明者 2173人
罹災者 1224533人