20170906 2017-09-06 06:26:49 | 日記 罪悪も業報を感ずることあたはず、 罪悪を犯せば、その結果(業報)は、必然的に、 自業自得として、我が身の上に、まさしくふりかかる。これを信心の行者は、甘受するのである。当然のこととして受けるのである。 むしろ頂くのである。それを逃れようとはしない。一つに融けて素直に流れてゆく。 ・・・・ 歎異抄の研究 毎田周一撰集16 選択による原因と結果の中で、日々生きていると思いますと、結果がどうあれ素直に受け止めて、どうするかまた考えて生きてる毎日です。落ち込んだり、自己否定せんでええ。