喧嘩がはじまる、生きるために。それが本能である
戦いと喧嘩は少しちがう。喧嘩は揺れ動く欲と防衛である。
それぞれ、欲の渇望が強くなると、その欲のとりことなり、人は阿修羅と化す。
欲の化身は、その欲が満たされると、人と化す。
常に、緊迫の状況に二十四時間浸かっていると、強く張っている弦と同じで、少しストレスが加わるとその糸はいとも簡単に切れる。
このような状況の時はむしろ喧嘩がはじまる方が、まだまだエネルギーがあるのだも思う。絶望感に陥ると「喧嘩」はない。欲望がなくなるからだ。
「私は生きる、生きるぞ、祖国に帰る」その思いの強さが仲間同士の喧嘩となる。
・・・・・
生きる
小野田寛郎 著
------
こう言う極限でのお話を目にすると
身につまされます。祖父はどういう思いで
戦地で生き散っていかれたのか。。
そして、そういう大先輩のお陰で
自分は生きてるのだという事を忘れない。
ただ、普段はヘラヘラでいい。なんかあったら切り換えてしっかり、立つ。生きる。