
自己が時の流れの中にあるのではなく、
自己が時をあらしめて居る。自己は生命なる故に、世界の生命なる故に。流るる時を、我が時として奪ひ取つてくるのである。
時に支配されるのではなく、時を支配するのである。だから、ここにこの事物あらしめることは、世界をあらしめることであり、世界としての、自己の表現である。
要するに一即多・多即一といふことが、生命の真相であるといふのである。
正法眼蔵三巻抄
毎田周一撰集 9

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葉隠、武士道にも通じるのかも知れませんが、
自分で決めて生きる。死ぬタイミングすら
自分で決める。そして、これは決して
マイナスの意味ではなく、前向きに生きるための心構えである。
問答を書いている様ですが、内観している時の感情の動きの様な気がいたします。
