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そこで翌年、太子はこんどは二万の兵を日本中から集め、筑紫の浜において風の静まるのを待っているうちに、総大将の大麻皇子が病気で亡くなってしまった。そこで新たな総大将を任じられることになったが、ここで聖徳太子は考えられた。
たとえ、もう一度新羅へ兵を送って任那の日本府を再建しても、朝鮮に相当数の兵を駐屯させねば、同じことがくり返される。
こういうことをいつまでもやっていては、つまらぬ。力で押えてはいかん。それよりも、精神的な、文化的な面で、日本というくにを立派にしたほくがよい、と。
それから、太子の政治の眼は、もっぱら国内に向けられ、『憲法十七条』や冠位十二階を作って、人材登用の道を開き、日本国を文化的に向上させるという方向へ、全力をお用いになったようにうかがえるのです。
聖徳太子の憲法十七条
花山 信勝著
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日本的霊性、在り方について聖徳太子が
気づかれたこと、出来ればこれからも
ちょっとでも引き継げればよいですね。
書道をもうちょっと真剣にやっとけばよかったな。。
朝日が昇りました。手を合わせます。
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逆のものさし講サイコー
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御恩に感謝いたします。
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