こないだ(2024年5月18日)長崎にある、先祖代々の墓掃除に行ったという記事は先日書きました。せっかく長崎に行ったので、観光みたいなこともしてみましょう。長崎は墓掃除の他、仕事でも度々訪れた場所でありますが、あまり観光地っぽい所には行っていません。(仕事なので当然であります)
長崎駅からほと近い場所に「出島和蘭商館跡」があるので、行ってみましょう。初めての訪問です。
ご存じのように、江戸時代の幕府は鎖国政策をとっており、唯一外国との窓口となっていたのが長崎の出島です。出島が出来る前は平戸にオランダ商館がありましたが、外国人が市内に住んでいるため、キリスト教の布教など幕府にとって都合が悪いこともあり、すべて出島に集約されました。事実、平戸にはキリスト教が布教され、かくれキリシタンとして浸透していくことになります。宗教というのは、一度人の心に入り込むと禁止しても根絶やしにするのは困難を極めます。
入場料金は一般大人520円で、各種カードが使えます。(なんとかペイも)
当時の出島の建物を、史実に基づいて(なるべく)忠実に再建されています。当時、この辺りは海でしたが、埋め立てにより出島の周辺は陸地になっています。写真は、極力人が写りこまないように配慮していますが、外国人を含め観光客が多く訪れています。
日本の輸出品としては、最初は銀から始まって金がありましたが、幕府がどちらも禁止してから銅が主力となっていした。
四国の別子銅山をはじめ、日本各地で産出された銅は大阪で精錬され、出島に「棹銅」という形で集められました。上の写真は、1本300gの棹銅が200本詰められた60Kgの木箱の山です。銅は、東インド会社のアジアでの拠点「バタビア」(現ジャカルタ)に送られ、硬貨や銅の食器などに加工され、オランダは日本との貿易で巨額の利益を上げます。(銅だけではないが)もちろん、バタビア⇔オランダ間でも活発に貿易が行われます。
日本から輸出された磁気や、ユーロッパから輸入された食器の残骸が発掘されています。壊れたものは、そのまま埋められたものが多く、かなりの量が出土しています。(昔は、燃えないゴミの回収とか無かっただろうからな)
ブラタモリの収録中に、タモリさんが発掘した磁器が展示されていました。
出島は隔離された空間ではありましたが、江戸後期になると日本の治安も悪化していったため、オランダ人が護身用に持っていたと思われる短銃が地中から発掘されています。帰国時に、処分に困って地中に遺棄したものと考えられているようです。
オランダ船が到着した際は、オランダ商館側の人も幕府の役人も大忙しでしたが、それ以外は暇なのでまったりと過ごしていたようです。オランダ人はビリヤードに興じており、日本の役人はカピタン(商館長)にコーヒーなどをおねだりしていました。出島の利用料はタダではなく、相当高額な利用料を取っていたそうですが、それを上回る利益があったのでオランダ側も文句を言わずに支払ったのでしょう。
出島の商会員たちは、昼夕2回カピタンの部屋に集まって食事をとっていたとのことです。これはクリスマスの祝宴風景を再現してるので豪華です。
出島はバドミントン伝来の地ということです。(ヨーロッパへの窓口だったからな)
バドミントンといっても、現在のラケットと比べるとだいぶ違いますね。
大砲が展示されていますが、海中から発見されたので、オランダ船から何かしらの理由で落下したものと思われます。
これもそうですが、どうやったらこんな大きくて重いものを落とすのだろうか?
ミニチュア出島が展示されています。そのほか、盛沢山でゆっくり巡って3時間半ほどでした。
時間があれば、出島総合案内所で無料のガイドツアーが行われるようなので、それに参加してみるのもいいのではないでしょうか。