「神様の女房」を見ました。
神様(松下幸之助)が、夜9時の放送で会社を起こし
二股電球を作り始めるみたいです。
親父の子供の頃、家にも二股電球は有りましたが紐付きでした。
親父のバァちゃんの田舎、丹波(福知山)はまだ回転スイッチ式のがありました。
親父は学校の休みになると丹波に預けられたゴンベェでした。
ヤンチャばっかりするし、大変やったみたいです。
爺さん・婆さんは4人の内3人が親父が生まれた時には死んでたし、婆さんは丹波の婆さん一人でした。
いつも、2つ違いの従兄弟と婆さんと3人で離で夏は蚊帳の中で寝てました。
便所が外やったから怖かったし、イノシシも鹿もでるんで怖かったです。
その婆さんに二股電球の話を聞いたのを覚えています。
「この二股電球を作らはった松下幸之助さんは立派な人なんやで」
「学校も行けんかった丁稚からナショナルを作らはったんや」
「松下さんみたいに立派な人にならなあかんで。」
『婆さん、堪忍な。立派な人にはなれんかったわ。』
年に一回は丹波に行き墓参りをしてます。
昨日、スーパーで切干大根を買って揚げと炊きました。
切干大根て何処で作られているか知ってますか?。
国内の生産量の90%が宮崎県なんです。
宮崎と都城の間の日豊本線から撮った写真です。
大根を干して、刻んで言うか細くして干すんでしょうね。
奥の方に細くしたのが干してます。
手間が半端無くかかるでしょうね。
この風景を見て以来、切干大根煮が有り難く思えるようになりました。
近代化とかコンピュータ化とかデジタル化とかの発展もも大事ですが
やっぱり、一次産業を粗末に扱うと碌な事は無いでしょうね。
立派な人には成れなかったですが、人にやさしい人間になりたいです。
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二股電球は知りませんが、電球は子供の頃まだありましたよね。蛍光灯の部屋と、電球の部屋がありました。電球の傘の上のスイッチをひねって電気つけていました。裸電球ってのも珍しい時代ではありませんでした。
そのあと、今週は「人生の楽園」みのがさないぞ~と見たら宮崎県、主人の郷里です。
大根が半端じゃなくほされている風景は、主人の実家にはじめて挨拶に行く時に、見たのですが。。。 その信じられない風景に、とんでもなく文化の違うところの人と結婚するんだなぁと驚いたものです。 実際宮崎に住んだわけではありませんが、結婚後も文化や風習の違いに随分苦労しました。
義母からもらう切干大根はゴツゴツしています。。
白いガラスの笠が付いた白熱電球と黒いソケットは踏み台で捻ったものでした、
今日も神様の女房を見ています、今の時代には感動する若者はほとんどありません、
孫やゲイツの時代になりましたなあ~
考えたら、電気器具の発展言うのは凄いもんや。
そやけど裸電球て、電気の有難味・暖かさがあったなぁ。
宮崎の大根を干してるのは見たらビックリするもんな。大分にも干瓢みたいな切干大根も売ってるわ。
文化・風習・言葉・人間性、親父も大分へ来て感じたし、今も感じてる。けど、他人も感じてるのやろな。みんな、故郷が一番て思うてるのやろね。
踏み台が何処の家にもあったんは二股電球のためやったんやろね。
けど、あの時代にはコンプライアンスも何も無かったやろし、この国はどんどん自分で自分の首を閉めている気がするわ。
今の若者は、猿真似大国日本も知らんのやろな。
鈴木先生の教え子に友人が沢山いるんですよ。
今でも友人たちの同窓会に参加されているみたいです。昔からスーパーマンでしたがいつまでも元気で頑張ってもらいたいです。