らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

ごっつおぅ(ご馳走)て何ですか?

2011年11月25日 19時39分19秒 | 親父の人生・思い出

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昨日はいつもの様に9時に寝たけど2時に起きましたわ。

近所の中ノ洲のプラントで化学物質の火事で消防車がウーウーでした。

お陰で寝不足ですわ。

大きい企業は人に迷惑をかけてることも考えとらんのやろな。

この日本が間違うてるのはこのへんにあるんや無いかなぁ。

儲けりゃ良いて言う考えの奴らがやっとるのやろね。

親父が子供の頃の近所の会社は違うたわ。

日本電気硝子は近隣を大事にしたわ。

硝子商事、現ニプロも近所に愛されてたわ。

もちろん、東レ・都筑紡績もな。

そこらの会社も今は知らんけど、大企業は一番大事なことをやらんとアカンで。


故郷滋賀の子供の頃の琵琶湖は臭かった。

琵琶湖博まえのにおの浜なんかヘドロだらけやった。

大津板紙の排水でホンマひどかったわ。

小中学校が隣やったから、工場から出るニオイは今でも覚えてる。

まぁ、当時は企業が悪いんや無く国の規制が無かったんやろな。


今日、スーパーへ忘れていた三つ葉を買いに行ったんや。

帰り、こんな事言うと申し訳ないけど北朝鮮のコッチェビみたいな子供がいたんや。

ここ数年、こういう子供達を見ることがある。

戦後、親父が子供の頃はみんな貧乏やったから、継ぎ接ぎだらけの子供

お兄ちゃんのダブダブのセーターを着た子供もいっぱいいた。

自転車の三角乗りなんか当たり前やった。

そやけど、いくら不景気でも今の時代にあのコッチェビみたいな子供は無いわ。

自転車乗りながらその子の目を見て辛かったけど、何もせんかった。

情けないけどな。親父の家に来てもろて飯を一緒に食いたかった。


この国は子供達にまで辛い思いをさす国になったんや、

今のままやったらこの国は終わりが近づくやろね。

宝物の子供達くらいはなんとかせんとな。


そうや。今日のテーマは、ごっつおぅでした。

親父が子供の頃のごっつおぅ言うたら、テキ(ステーキ)・すきやきとこれでした。



茶碗蒸しです。

バラ寿司に茶碗蒸しは何かの祝いか記念日でした。

今日は何を思うたか、バァちゃんが昼から張り切ってるんですわ。

「今日は茶碗蒸しを作る」て言うて買い物にもポコポコと行ったみたいです。

何で今日が茶碗蒸しなんかは親父でもわかりません。

けど、ヤル気満々。





さっき、食いましたが美味かったです。

まだまだ、バァちゃんも元気で良かったです。


皆さんにも子供の頃のごっつおぅがあると思います。

焼肉屋も無かったし、ホットプレートが出始めた頃、親父の家では網焼きでした。

肉は◯◯百貨店の松喜屋の近江牛でした。それしか無かった。

寿司なんか出前しかなかったです。

晴嵐の太郎坊寿司か富士見台の寿司藤でした。

法事とかはいつも仕出し屋さん◯◯でした。

おばぁちゃんがリアカーでいつも配達してくれてたんです。

その時にお孫さんのお嬢ちゃんも一緒に手伝ってましたね。

だし巻きの美味い仕出し屋さんでした。


小学校の時に友達の家でカルチャーショックをうけました。

【ほぶらきん】をやっていた◯下◯朗の家で頂いた、ミルクティー&フレンチトーストです。

あんなに甘く美味かった感覚は54の今までであの時が一番でしたね。

同級生にはお金持ちが多かったからケーキとか色々と初めての物を頂いたけどあれが一番やったですね。


もう、この年になって「これは美味い」て思う事は無いけど、ほんまはまだまだあるんやろね。


この国の子供達がホンマに美味いこの国の産物を一度でも食える事を祈ります。


あっ、そうや。

今日は朝から博多の予定やったけど、余所行きを着ていざと思うた7時前に電話。

どうも単価がまったく合わんらしい。

親父所は孫請けやから、単価を聞いたら半値。

ほんま、大変な時代ですわ。

楽しみの天下一品も飛びました。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは♪ (マリンママ)
2011-11-25 20:15:56
お母様が元気で嬉しいです
ご馳走かぁ~^^我が家も裕福ではない家庭でしたから母も仕事をしていましたし。茶碗蒸しなん家で食べた記憶は無いです
何がご馳走だったのかな?年に1回位の出前かな?その出前のメニューは覚えていないのですが「出前」というだけで嬉しかった事は覚えています
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マリンママさんへ (らいん屋親父)
2011-11-25 20:38:24
バァちゃんがこの頃、自分の年で入れる保険が無いとボヤいています。ほとんどの保険が80までなんです。
昔はみんな貧乏でも楽しかったです。隣へ醤油を借りに行ったり、米も無い時はお互い様でした。

親父にとっての贅沢は、トラックの運ちゃんなんかが飯を食うドライブインみたいなひばりモーテルでした。飯食ってピンボールゲームして、楽しかったです。
当時の長島スパーランドに一度連れていっても制した、雄琴ヘルスセンターと桁違いでビックリしました。
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おかあさんが元気なのは (あかお)
2011-11-25 21:03:18
一番ですね。うちなんか,うどんか贅沢煮ぐらいしか自分では作らんようになりましたね。
もともと料理が嫌いで,めんどくさがりな人でしたけど。
茶碗蒸しもすぐに酢が入るので,私は苦手で。
つい最近まで茶碗蒸しのおいしさに気がつかなかったような体たらくで。

私が育った家の周りは貧民窟でしたから,コッチェビだらけでした。朝鮮籍の子が多かったからシャレにならんか。
「遊んだらあかんで」と言うてるわりに,その子らと一緒に晩ごはん食べたり,私の服をあげたり(下に誰もいないんで),なんやかやと関わりを持ってるのがおかしかったですねー。
帰国される人らーを大津駅まで送り出しに行ったり。
昭和30年代ではフツーの近所づきあい,隣人愛なんでしょうけど。

子どもの頃のご馳走は鯖寿司と太巻きに尽きますね。小さいころにあまり食べられへんかったさかい,今でも執着してますね。
ビフテキいうても,いま思うと安い部位やからかたかったしなー。ビフカツのほうがよほどマシ。
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こんばんわ~☆彡 (シャロン )
2011-11-25 21:04:49
お母様の茶碗蒸し、美味しそう…まだまだお元気で手料理も…親父さん幸せですね

私のご馳走も…幼いころ、お盆とお正月に母につれて行ってもらったレストランのハンバーグやパフェかなぁ 喜んで食べる私や妹を母が嬉しそうに見ていたのが心に残っています。そのお店ももう無いんですが…
松喜屋さんや太郎坊寿司は今もありますよね!
そして、琵琶湖は南の方は工業排水で大変やったんですね 今は嘉田さんたちの努力でどこも綺麗になってきてますよね
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あかおくんへ (らいん屋親父)
2011-11-25 21:31:16
あかおくんのお母さんは学のあるひとやったもんな。入学式の写真を見たらうちのバァちゃんと前後ろに写ってる。
あの当時はみんな今と比べたら貧乏やったで。ただ、おもろかったなぁ。
親父の近所も子沢山ばかりで貧民窟やったわ。ただ、笑顔があふれていたけどな。

朝鮮人も普通やったわ。ただ、服と靴が違うただけや。

親父も鯖寿司にはこだわるわ。
バッテラやったらあかんのよね。
けど、いづうの鯖寿司は高すぎて今は食えんね。

この国はこのままの政治をしてたら、いずれ戦後よりひどくなるやろね。
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シャロンさんへ (らいん屋親父)
2011-11-25 21:42:32
伊吹山も冠雪があったみたいですね。

書いてて、お母様とのカラオケとかを思い出し熱いものを感じます。
親父のバァちゃんはこの碌でもない息子がいる限り逝けへんのかもね。
親父、子供の頃はずっと近江牛を食ってたんですもんね。
親父達の時代にはハンバーグはレストラン言うか親父はひばりモーテルしか無かったですもんね。
なんせ、京都の大丸へ行く時は蝶ネクタイを付けられ余所行きでしたわ。

琵琶湖も綺麗になりましたね。ただ、湖岸を今風にするのが良いのかなぁと行った時に思います。
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ご馳走 (yume)
2011-11-25 22:05:29
茶碗蒸、いいですね。
寒い冬、ふぅふぅ~いいながら食べる茶碗蒸しは最高。しばらく作ってなかったけど、久しぶりに作ってみようかなぁ。昨日は「ぶり大根」作ったんですよ。ちゃんとアラ売ってるし、大根も一本100円。 こんなのが我家の「今」のご馳走。。 アツアツのご飯とそんなのをゆっくりと家で食べるのが一番落ち着きます。

お祭の前の日、母は何本も巻寿司と鯖寿司作ってました。 スーパーで売ってる巻寿司じゃないんです。。 母の作った料理、また食べたいなあ。 おはぎもおいしかった。。
すき焼きは、おばあちゃんちで食べるものでした。

一番楽しみなイベントは 京都にお歳暮・お中元を買いに行く事、そして帰りにスター食堂でご飯食べる。。 
大津で外食する事は殆どなかったです。
小学校高学年になった頃、やって中町商店街の中島食堂とか、あたか。。へ連れてってもらえました。
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yumeさんへ (らいん屋親父)
2011-11-27 20:15:29
遅うなって堪忍ね。

ぶり大根てごっつおぅやなぁ。
大分のブリも有名なんやで。
お互いに海の魚は子供の頃あんまり無かったな。
親父は今でも塩鯖が大好物です。
ただ、この頃のは塩辛さが足らんわ。
シャケも辛いのを探すのが大変やわ。

我々の寿司は巻きずしと鯖寿司やなぁ。
親父のとこはバァちゃんのバァちゃんが祭りには福知山から来て作ってくれたわ。
親父のバァちゃんは飯も炊けんお姫さんやったから母親が責任感じて来てたらしいわ。

スター食堂、オムライス・チョコレートパフェやなぁ。

親父の思い出はあたか飯店や。
中華料理なんか家族皆食ったことがなかったから、知ってる八宝菜を頼んだら大皿で出てきたわ。親父の親父はあれ以来あたか飯店には行かんかったわ。
貧乏人が行く店や無かったな。
背広着た人ばっかりやったわ。
親父の親父は金はあるて言いたそうやったわ。
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