じんべえ時悠帖Ⅱ

開けられることのない郵便ポスト

 ひょっとしたら一ヶ月の命の内閣が発足した。岸田氏が

苦慮したのは派閥均衡だろう。

 出身大学も、早稲田、慶応、東大が各4と均衡したのは

偶然か。他はハーバード、上智が各2、その他私大が各1

で5人の計21名(早稲田出身の岸田氏を含む)。

 経済安保担当相を新設し、「新しい資本主義担当相」も

検討中というが、コロナ以降を見据えた「新資本主義」の

潮流(「人新世の資本論」斎藤幸平など)とは違うもの。

 

 信州別所への小さな旅、2日目の午後は念願の「無言館」。

館主の窪島誠一郎と画家の野見山暁治が全国を回り遺族など

から集めた戦没画学生の作品を展示する美術館。

 と書けば簡単だが、その設立は長い話となるので省略。

別所線の最寄り駅から徒歩で訪れた前回は無念の休館日で、

今回はそのリベンジ見学。

 九十九折りの急坂を車で一気に上った高台は、塩田平を

見下ろす静寂なところ。木立の中にひっそりと建つ無言館は

シンメトリーなグレーのコンクリートのまゝの佇まい。

 十字型の平屋建物の内壁、出入り口の面を除いた十面に

裸婦や家族、風景など絵がびっしりと掛かる。出生地や

出身学校の最後に戦没地が記されるが、いずれも戦争終盤

の激戦地が多い。

 通路のガラスケースには写真や家族宛ての葉書や手紙類、

菊の御紋章入りのタバコなどが展示される。撮影禁止かも

知れないがそっと一遇を撮る。やはり皆「無言」である。

 約十年後に建てられた第二展示館の前には、絵筆九十本が

嵌め込まれた大きなモニュメント。しかし、その中の九本が

欠損。心無いいたずらなのか元々なのか。

 足元のグレーに塗られた「開けられることないポスト」。

返事は書けない戦没画学生宛てのポストなのだろう。


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
窪島誠一郎氏は今年ちょうど八十歳。
無言館の成人式と言えば四年前ですね、亡くなる直前の樹木希林と同席なんて
羨ましい体験です。
観た者は須らく無言になる「無言館」、もっと多くの人が訪れる仕掛けが
必要です。
jinbei1947
えめらるど様
水上勉の息子とは・・・、全く知りませんでしたので早速「勉強」しました。
経済的事情で手放して以降行方不明、誠一郎三十六歳の時に感動の再会。
手放したことをずーっと悔やんでいた母は、誠一郎五十八歳の時に自死。
大作家も若い時は貧しかった、悔悟の思いが作風にも出たのでしょうか。
ykoma1949
窪島誠一郎さんも、最近体調を崩されて・・と聞きましたが
お元気なんでしょうね~無言館の成人式の時の写真は今でも
私の宝物です。あの日、車の置き場所がなく、あの坂のズート
下に車を置かされて、あそこを小走りに登って、時間に遅れた
のが幸いして、最初に今日は撮影は禁止と案内があったとか・・
私は遅れたので、そこを聞いていなくて、適当に遠くから撮って
仕舞って、後で係の人から注意を受けてしまいましたが・・
後の祭り、もう20枚くらい撮ったあとでした。その後黒坂先生
からお許しが出て、さて撮ろう・・としたら皆さん無言館の中
に入ってしまって・・結局外での写真だけでした。
窪島誠一郎さんと樹木希林さんたちとの写真もあれが最後で
其の翌年、樹木希林さんは亡くなりました。
思い出の 無言館 また行きたくなりました。
eme
窪島誠一郎氏が無言館を造った時、父親の水上勉氏が観に来られ、お金でも下さるかと思ったら植木を一本置いて行ったと、何かで読みました。
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