じんべえ時悠帖Ⅱ

写真「入浴する智子と母」

 先日、映画「MINAMATAー水俣」を観たことを書いた。

今朝の新聞に、映画の元となった写真集「MINAMATA」の

共同著者であるユージン・スミスの未亡人、アイリーン・

美緒子・スミス氏へのインタビュー記事が載った。

 そこである事実を知った。

 映画の終盤のクライマックス・シーンは、胎児性水俣病

患者である少女、智子さんが母に抱かれて入浴するシーン

である。現像パッドの中で次第に現れて来た写真は、まさに

写真集に載ったあの写真であった。

 ユージンが撮った1972年のライフ誌に掲載されたこの入浴

シーンは、世界中に水俣病の存在を知らしめたが、1998年に

両親の希望によって「封印」されていたのだった。

 映画「MINAMATA」の監督から、どうしても使いたいとの

連絡を受けてアイリーンはロンドンに飛んで完成間近の映画

を観た。そして「事実に基づく映画」のため使用を承諾した。

両親には事後承諾となった。

 

 胎盤を通じて母の水銀を吸い取って罹患した智子さんを

両親は「宝子」と呼んで篤く看病した。この上村家の近くに

夫婦で住んでいたユージン・スミス夫妻は、智子さんや看病

する両親、家族の様子をよく撮っていた。

 ある日母娘の入浴シーンを撮りたいと言うユージンに母の

良子さんは「よかですよ」と答えた。地元住民からも疎まれ、

難航する損害賠償の闘いの一助になるなら、の想いである。

 窓から入る光で逆光になるので妻のアイリーンがライトを

当てた。四角い風呂桶の対角線に横たわる智子さんを母良子

さんが浮かせるように抱く。風呂が大好きという智子さんは

じっとしている。母娘とユージンの息がシンクロした瞬間、

厳かで静かな空間にシャッター音が鳴った。

 ライフ誌で「入浴する智子と母」と題された写真は、絶世

の美人である良子さんの慈愛に満ちた眼差しに、キリストを

抱く聖母マリアにもなぞらえられた。

 

 77年に智子さんが亡くなり、78年にはユージンが死んだ。

その後NHKの番組で母の良子さんが「この写真を観たら

だれでも水俣病の苦しみちゅうもんが見てもらえるとじゃ

なかですか」と語った。

 だが、写真展や報道で頻繁にこの写真が出るようになると

「お金がもうかるでしょう」などの中傷が出始めて、両親は

「智子を休ませてほしい」と封印を希望した。

 人々に感動を与えた夫ユージンの傑作、芸術家の結晶を

封印することは、妻としては出来ないと思ったが、両親の

想いも尊重しなくてはいけない。悩んだ末、封印を決めた。

 しかし、ネットが発達し封印したはずの写真が出回る中、

真摯に使いたい人たちには両親との約束から断らざるを得な

いというジレンマが長く続き、今回の映画となった。

 封印から20年、今回の映画が「水俣」を伝えるチャンスと

思うが「事実」が伝わらなければ意味がない。脚本段階では

封印の約束によって断った「入浴する智子と母」の写真を、

完成間近の映画を観てから使うべきと思い直した。

 今回の映画をきっかけに絶版だった写真集「MINAMATA{」

が再版となった。アイリーンはこの写真集と映画だけに限定

して封印を解いた。

 映画あるいは写真集で是非「入浴する智子と母」の写真を

観て欲しい。

 今日の添付写真はない。


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
「智子を休ませ欲しい」という母の願いも、それに応じたアイリーンの愛も
「ネット」という魔物には勝てませんでした。
という私も写真集から「怨」の旗の写真を借りました。
水俣を語る時、「怨」とその先にある「のさり」の心は外せません。
ykoma1949
映画は まだ見てませんが・・「入浴する智子と母」の写真集は
ネットで見られます・・拝見しましたが、正直長いこと見ては
いられません・・目頭が曇って・・報道写真以上のものを・・
伝えています。ホント悲しい中に慈愛に満ちた美しさを感じて
素晴らしい写真です。映画への期待が高まります。
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