日光街道の5日目の後半である。
杉戸宿の入口である国道4号からの分岐点に小公園がある。
宿標などを撮っていると、隣の住宅の庭で干し物中の年配の
奥さんと目が合う。
挨拶代わりに三本木一里塚の場所を訊くと「この先の
銀行のところだよ」と繰り返し言う。しかし、その銀行が
なかなか出て来ない。でも一里塚の口碑があった。
周りや先を見ても「銀行」は影も形もない。
杉戸町役場入口あたりから杉戸宿の中心の雰囲気となり、
「杉戸宿」ブランドの関口酒造の古い建物が建つ。
文政五年(1822)創業の豊嶋屋/関口式右衛門の創業と
口碑に書かれる古い酒屋。日曜日で店や門の中が見えない
のは残念。
やがて一目でわかる高札場が現れる。その一枚の札に
町内の建設業者、地元の大学、日本工業大学が連携して
建てたものと説明される。
近津(チカツ)神社は平成十三年に不審火で燃え社殿の
見事な彫り物が失われた。奥まで行ってみるが、未だ
仮殿で浄財を募る札が立つ。
次の交差点は「本陣跡地前」。「明治天皇御小休所」の
立派な碑が建つ、中央三井信託銀行がその跡だろうか。
少し前までは門柱だけが残る空き地だったらしい。
この交差点は東武線の東武動物公園駅への入口、一旦街道
を離れ古利根川沿いに出る。以前歩いた懐かしい風景である。
この先のカーブが杉戸宿の終わり、その角は「桝形」に
なっていたという。古い建物は桝形に面した「角殻」跡。
小島定右衛門が興した「角に立つ米穀問屋」だった。
カーブの先の宝性院は幸手城主、一色氏所縁の寺で安産と
子育ての杉戸不動尊として慕われる。馬頭観音塔の右脇は
日光街道標。元々は街道脇に立っていたのだろう。
その観音堂の瓦ワークが実に見事、これは芸術である。
このすぐ先が土蔵の見事な渡辺家邸。
国道4号に合流すると今日のゴールも近い。日本橋から
十四里目という茨島十里塚の説明板が偶然目に入る。
そうか、奥さんに訊いた三本木一里塚からもう4キロも
来たんだ。ゴールの杉戸高野台駅入口の交差点に「日高屋」
がある。当然、打ち上げの生ビールである。