流行語大賞にはならなかった「総合的・俯瞰的」。
どちらかと言えば庶民には縁遠い日本学術会議メンバーの
任命問題だった。
何となく報道が途切れたというか、もうニュースにも
ならない。とかく「人の噂も七十五日」である。
久々、朝日新聞の「耕論」で立場の違う三人がこの問題を
論じている。例によって唯我独尊的に翻訳して紹介しよう。
元・学術会議会長の吉川弘之氏。精密工学の権威である。
氏が会長になった時はまさに行政改革の真っ只中で、学術
会議もその対象。
学術会議は、その使命を「俯瞰的」に見直して自主的な
改革案を作った。今回はそれを逆に使われてしまったと
嘆く。
元・総理府の役人で現在は政策コンサルの室伏謙一氏。
菅政権の「総合的・俯瞰的」は極めて「稚拙な言い訳」と
手厳しい。
政治の世界で「総合的見地から」と言う場合は、制限を
付けずに「含みを持たせる」時で、今回のような明確な
「任命拒否」に使うのは間違っている。
また、俯瞰的に見るとは言っても、俯瞰的に判断すると
は言わない。この後出し的な稚拙な言い訳は、首相官邸が
機能していないか、国民をナメている証拠。
三人目は、ガラッと変わって十代の女子大生。若者の
政治参加を促す団体をつくっている。
説明にならない「総合的・俯瞰的」を繰り返す菅政権、
それを批判するだけのメディア。どちらにも「それしか
言わんのかい!」と突っこみたくなる。
メディアが騒ぐほど世間には関心がないこともある。
政治はコミュニケーションが大事なのに、普段会話でも
使わない響かない言葉で「説明」し続けるのは、伝える
気がないのか、政治的無関心を助長するのが有利と思う
のかと勘ぐる。
この女子大生がつくった「NO YOUTH NO JAPAN」、
若者なくして日本なし。蓋し納得である。
江戸川の対岸、流山市の散策は帰り道。騒がしい県道を
避け一本裏道を歩く。
流山文化会館、指定避難場所である
街中の癒しのショット
四時間前とは光が違う江戸川