九年目の「3.11」を前にいろいろな特集番組が組まれる。
今朝のニュースでは石巻市の門脇(カドノワキ)地区の現状が
映った。日和山から眺める門脇地区から石巻湾への一帯は
3年後に訪れた時とあまり変わらないように見える。
その一部、嵩上げされて新門脇となった250軒分の住宅地
には、60軒が建っただけと言う。ここに限らず各地の嵩上げ
されたところも同様かも知れない。
下は2014年10月、日和山から
さて、中山道ウォークは上州2番目の倉賀野宿へ。
新町宿の外れ、弁天橋を渡ると旧中山道は右に折れて烏川
へと向かう。
このあたりの昔の地名である伊勢島村の村社、伊勢島神社
の先の「豪農の屋敷」は一目でわかる。関越道を潜ると
旧中山道は烏川の土手道となり、強風は猛風となる。
1キロほど先で烏川を越す柳瀬の渡し場となるが、その間
の旧中山道は土手道だけでなく、河川敷に降りたり、土手下
の一般道になるなど頻繁に変わる。
思えば昔はこんな高い土手は無かった訳だから、中山道は
当時の地形なりに通っていたのである。
河川敷に降りた先の小高い木のあたりが「お伊勢の森」で
小さな祠がある。伊能図や「藤波の記」で中山道がこの脇を
通っていたことは間違いないと言う。
お伊勢の森から再び土手道に戻り、今日の強風に靡く竹林
のあたりが「中島一里塚」。その先は土手下に見える一般道
が中山道だったようだが、逐一辿るのは面倒だ。
このあたりが烏川の対岸へ向かう「柳瀬の渡し場跡」で、
休憩処である中島立場(タテバ)もあった。もちろん今はその
先の柳瀬橋を渡る。
その前に、朝からの強風に冷え切った体に何か暖かいもの
をと、ちょっとロスタイムになるが一般道沿いのコンビニに
向かう。
長さ400mほどの柳瀬橋には、脇に立派な歩行橋が併架され
歩きやすいのだが、何せ今日の風はものすごい。川面の小波は
その風の産物である。上流側を国道17号と高崎線が渡る。
橋を渡った最初の信号、「岩鼻町」交差点に、柳瀬の渡し場
から旧中山道が上って来る。
ここから倉賀野宿までは3キロほどだが、続きは次回。