京都赴任を終えて関東に戻った2007年に始めたのが板東
三十三ヶ所巡り。本来の結願寺である三十三番、房総半島
先端の那古寺は、勝浦への温泉旅行のついでに参拝済み。
今秋3回目の旅で巡る最後の二山は、常陸太田の佐竹寺、
常陸大子の日輪寺である。八溝山の頂上近くにある日輪寺
へは麓の大子町での前泊が要るので、まずは常陸太田へ。
水戸で常磐線を水郡線に乗り換えて自宅から3時間近く
かかって常陸太田駅に下りる。
駅舎の片隅にある小さな観光案内所で太田の見どころや
食事処を尋ねる。食事処は駅近くの「地元の」ファミレス
がお勧めで、見どころはその先の城下町の面影を残す国道
293号線沿いと、案内図を示して丁寧に教えてくれる。
駅から2キロ北方の城下町と西方2キロ半の佐竹寺とは
方向違いで両方は時間的に無理。ファミレス「ばんび」は
ちょうど昼時で混み、生ビールはすぐに出て来るが肝心の
食事は20分待ち。
佐竹寺へは県道を歩くのがシンプルだが、少し近道して
途中まで裏通りを歩く。源氏川を渡ると竹林の急坂となる。
中間点あたりで県道に出ても長閑な風景が続く。
佐竹寺の山門は県道脇に立ち見過ごしそうになる。
二十二番札所の妙福山佐竹寺は何故か北向観音という。
確かにわずかだが北東向きであろうか。山号額の上には
五本骨の扇に日の丸、佐竹氏の軍扇である。
新羅三郎義光の孫である源昌義はこの寺に奇竹を見つけ
これぞ出世の瑞兆なりと感動、姓を佐竹に改めたという。
以降、470年に渡りこの太田を治めたが、関ヶ原で徳川方に
付かなかったため秋田に転封された。
茅葺の大屋根の下に裳階(モコシ)を持つ古刹は、佐竹氏
十八代の義昭が1546年に再建、長い歴史を感じさせる。
丸窓や回廊に桃山建築を感じさせる。この回廊、そうだ、
常陸太田駅のデザインに採用されたのかも知れない。
帰路は県道から坂を下った南台ニュータウンを抜ける。
その先の茂みを大きく回るのが分かりやすいが、敢えて
山道に向かうとやはりアップダウン。
その甲斐あって水鳥が遊ぶ池に出る。
佐武高校を回り込むように歩くと、往きに渡った源氏川に
出てしばらく堤防を歩く。源から佐竹へ、なるほどである。
下流に水郡線の鉄橋、駅はすぐ先である。
小道を抜け常陸太田駅の南側に出る。発車まではまだ
30分以上。下校した高校生たちが三々五々集って待つ。
列車に乗ってから見忘れたことに気が付く。この駅にも
常磐線石岡駅と同じに、徳富蘇峰の駅名板があったことを。
上菅谷で郡山行に乗り換え、夕闇迫る常陸大子(ダイゴ)駅
に着く。いよいよ明日は最後の(結願の)日輪山である。