じんべえ時悠帖Ⅱ

日本の石垣の「はじまり」

 7年前の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の復旧が進む

が、完全な復旧は当初予定の20年を更に15年延ばすという。

 天守閣など建造物の復旧は順調だが、熊本城全体で約1000面

ある石垣面の半数が復旧を必要とし、その石の数は10万個。

 被災前の写真を元にAIを駆使して崩壊した個々の石の位置

特定し、全国から集まった職人がそれを下から順に積み上げて

行くが、一つが300Kgから2トンもあるので平均的には一日に

3個積むのががせいぜいという。

 そもそも日本の城の石垣のはじまりはいつ頃か。朝日土曜版

の「はじまりを歩く」から。

 7世紀後半、新羅から侵攻された百済は倭(日本)に援助を

求めた。天智天皇が軍勢を送るが唐と新羅の連合軍に大敗する。

これが有名な「白村江」の戦い(694年)である。

 この敗戦に危機感を抱いた天智天皇は九州や瀬戸内海沿岸に

朝鮮式山城」を築く。九州の政治の中心だった太宰府を守る

三つの城の一つが大野城。9箇所の城門と石垣が築かれた。

 宇美(ウミ)町に残る「百間石垣」は、高さ7.5㍍、長さ180㍍

(百間)もある。百済から亡命して来た技術者によるという説

もあるが、古墳の石室を積み上げる技術の応用とも言われる。

(写真は宇美町観光HPから)

 

スナップは昨日の散歩の花たち


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
石垣の上の方は垂直になる「武者返し」の見事な曲面を再現する築石技術は
相当難しいのでしょうね。
のんびりと復元しながら技術の伝承を図るのもいいことでしょう。
ykoma1949
熊本城は元通りに拘りますから・・多分まだ元の石垣の石の位置が
半分以上特定されていないのでは??と思います。恐らく技術者不足
が一番の要因でしょう。 その昔は何年かけてこの城を築城した
のか判りませんが・・観光営業しながらの修復工事は、大変でしょう
人間様が月に行ったりする時代ですから・・なんかいい方法は
ないものでしょうかね~
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