2年半ぶりと言う辻本清美議員(立憲)の国会予算委での
質問(というより演説)をテレビ中継で観た(聴いた)。
まずは安倍首相に対し、リーマンショック不況及び東日本
大震災という未曽有の苦難を担った民主党政権を「悪夢の
民主党時代」と言い、自民党政権が立て直したかのように
言うが、何も良くはなっていない。今後、この言葉を決して
口にしないと確約せよ。
そして、国民を巻き込む憲法改悪を引退の花道にするので
はなく、華麗な政治家一族の末裔に相応しく、もっと清々しい
引退の花道を歩け、と迫る。
小泉環境相に対しては、中身のない薄っぺらな言動に対し、
自民党の「消臭剤」と切って捨てる。
などなど、久々の辻本節が冴えた。
さて、中山道は鴻巣宿の中心へ向かう。まずは観光案内図
で見た檀林勝願寺。中山道からの長い参道の先に、大きな
石柱と惣門が立つ。その惣門の扁額は「栴檀林」。
広い境内を進むと、隣の広場(鴻巣公園)では園児たちが
運動会の準備中、祭囃子にも似た音楽に合わせて踊っている。
スラっとした脚の園児や先生に時代を感じる。
境内の一番奥、参道に対し直角に、三間一戸二層(階)の
存在感ある山門(仁王門)。この扁額は山号の「大照山」。
朱色のギョロ目の仁王と精緻な彫り物を眺める。
本堂に向かう参道の左手、大きな墓地には鴻巣宿で病死した
真田信之の妻、小松姫とその子信重、関東群代伊奈忠次親子の
墓などがあるらしい。
江戸時代は徳川家の庇護が厚く、本堂の屋根などに三つ葉葵
の紋が目立つ。創建は鎌倉時代だが、本堂や山門は明治15年の
焼失のあとの再建と言う。
中山道に戻ると歩道に「本陣跡」の石柱が立つ。その脇道
を少し入った猿田彦碑が小池家本陣があったところ。
ここは仲宿(今は仲町)、鴻巣宿の中心でこの本陣や脇本陣、
高札場、問屋などが集まり、行政の中心でもあったという。
この先すぐに鴻巣駅への交差点。ちょっと早いが駅前で
昼食を済ませて後半へ。
雷の多い北関東には「雷電社」が多いが、竹ノ森雷電社
だった古社に、明治の初めに熊野社と氷川社を合祀したのが
「鴻神社」。
神木を守ったコウノトリの伝説があり鴻巣の地名の元と
言われるが、国府台、国府津などのように、国府(コウ)が
国の統治を行う機関の名として使われ、その中心地という
意味での「国府の洲」から鴻巣になったと言う説もある。
名物の夫婦銀杏は大きすぎて、境内をでた中山道から
撮ってやっと納まる。
この鴻神社の前にある伊藤家は、関東型土蔵造りの典型、
と言われる。平入の店蔵と妻入りの袖蔵で一対である。
袖蔵は延焼防止の役割を持っていた。
このあたりが鴻巣宿の終わりの上宿(上町)。ゴールの
吹上駅まであと8キロの長丁場である。続きは次回。