2月1日、大阪舞洲のゴミ焼却工場を見学した参加者は、西九条駅
から徒歩で地下鉄九条駅に近いという懇親会場へ向かった。
間もなく阪神電車の高架脇でビルに突き当たり歩道から少し奥まった
エレベーター前で幹事がこれから川の底をトンネルで渡るという。地下
からのエレベーターが着き扉が開くと自転車が数台並ぶ。
地下約20メートルの安治川の底をトンネルで渡る「安治川トンネル」の
入口である。以降、日本建設コンサルタンツ協会、CONCOM、大阪市などの
ホームページから写真や資料を借りる。
突き当たりのビルが入口、左が阪神電車なんば線
左の黄丸が自動車用入口(今は閉鎖)、車もエレバーターで昇降した
ということ。
安治川は旧淀川である。河口に近いこのあたりはけっこう大きな船が
物資を運んでいたので橋を造るにしても川面から高い橋となりアクセス
道路も高く長くなる。そこで川底のトンネルで渡るということになった。
昭和10年着工、19年完工と丸9年を要した難工事であった。川底に溝を
掘りコンクリートの箱を沈める「沈埋工法」は、現代の明石海峡大橋など
でも採用された高度な技術であった。
当初は歩道だけでなく車道もあったが、河口に安治川大橋が出来て
通行量が減った上、排ガスの問題もあって昭和52年に閉鎖された。
おー、懐かしのスバル360だ。
建設費は当時で260万円、現在価値なら70~100億円くらいだろう。
下はエレベーターが故障で2日ほど停まった時の迂回図である。下流へ
1キロ、上流へ2キロ近く、往復2~4キロの大迂回である。
エレベーターにはおじさんの操作員が一人ずつ付く。利用者は皆、
「ありがとう」「おおきに」などと挨拶して行くのが気持ちいい。
約80メートルの地下トンネルを通り対岸の地上に出ると「源兵衛渡」
の交差点。昔は船渡しだったということ。明治時代、船が通る時は回転
する橋が造られたが台風の洪水で壊れた。以降損壊による2次被害を
恐れ橋は御法度となって地下トンネルとなった。
珍しい川底のトンネルを経験できた。大阪に住んでいても通ったこと
がない人も多いだろう。大阪地下鉄中央線、西九条駅から近い。
懇親会はキララ通りアーケード街からちょっと入った小さな居酒屋。
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