五輪開催のための短期集中の非常事態宣言。
「二兎を追う者、一兎も得ず」という極めてポピュラーな
諺、知恵を知らないのだろう。困った人たちである。
とは関係なく、いよいよ水戸街道ウォークもゴール間近。
水戸市に入って約3キロ、広い国道50号線を渡って市街地
へと入ったところ。そして、ゴールまでも約3キロである。
さかなひとすじ「魚いちず」は街中では珍しい合掌造り。
一階の、車数台分もの柱のない間口はどんな大梁が入って
いるのか。この裏の日陰で休憩し、熱した体を冷やす。
この先で水戸街道は左に分岐するが、その角に倒れたまま
の石碑には「馬牛頭観音」と彫られる。馬頭観音、牛頭観音
を併せたものだ。
3年前にここを歩いた先達の資料(文)にも、「東日本
大震災のためか倒れたままである」と書かれているから、
そのままということだ。水戸市の関係者よ、立ててくれ!
馬頭観音は全国各地にあるが牛頭観音碑は珍しい。先達
も書いているが、私も多摩川の上流、旧青梅街道を歩いた
時に見かけただけである。
その時の口碑には、山中ゆえ馬が少なく農耕用の牛にも
物資運搬の荷役をさせた、とあった。
このすぐ先が最初の「桝形」。水戸城下の入口である。
突き当たって右へ、そしてすぐ左へとクランクするのが
桝形で、賊徒や敵軍の一気の侵入を防ぐものである。
途端に街道沿いの家並みも「それらしく」なる。
ここから数百メートル先、広い通りを渡ったところにも
二番目の桝形がある。左の道は後で作られた道で水戸街道
は「規定」通りに右に曲がり、すぐ左に曲がって、馬牛頭
観音碑があった角で別れた県道180号に戻る。
すぐ、昔からの店、と言う感じの商店がある。
この先、ゴールまでの間にある薬王院、吉田神社に寄る
が、共に風情素晴らしく詳しい紹介はオプション編として、
ここでは簡単にしておく。
まずは薬王院。茅葺、朱泥色の仁王門は何故か通れない。
脇から入り、本堂と見間違う回向堂の先に何とも重厚な
本堂がひっそりと佇む。
次の吉田神社へのルートは先達の知恵を借りる。正面の
茂みが吉田神社で、右に坂を下ったところが入口。
ここを真っ直ぐ進み脇から入って、帰りに石段を下りる
と言う省エネの知恵、一も二もなく採用である。
社殿の脇に出る。枝垂れ桜だろうか、葉でも見事である。
境内を一巡りして出た駐車場。水戸の眺望が見事。
そして本来の正面入口へと石段を下りる。
目の前が坂を下りた水戸街道。信号を右に曲がる県道と
別れると一度クランクして五百メートルで備前掘に出る。
曲がって直ぐの銷魂橋を渡ると、ついに水戸街道ゴール!
あれ?起点標ではなく、水戸宿高札場跡である。見回すと、
心配御無用、反対側であった。
時に4月20日午後3時33分、2月上旬から延べ11日(回)
で水戸街道完歩である。
しかし、ゴールの余韻に浸る間もなく、これからもう
一つの起点標を探さなくてはならない。明治政府が徳川の
影を嫌って水戸街道を「陸前浜街道」と改めた。
その起点標が、水戸駅とは逆方向の水戸宿だった通り、
ここから500mのところにあると先達は書く。
「ハミングロード」と名付けられた商店街を一路東へ。
傾いた陽を背中に受けながらトボトボと歩くとピッタリ
500mの交差点角にありました。一件、落着なーり。
今日は水戸駅前に泊まって、明日は水戸観光。備前掘、
桜川と水辺を歩いて2キロ先の水戸駅に向かう。いつもの
ように、完歩の喜びと終わってしまった寂しさが半々。
次回は、その水戸観光の紹介である。