じんべえ時悠帖Ⅱ

一万円札物語

 7月上旬、ATMで生活費を引き出すと、何と福沢諭吉のピン札ばかり

が出て来た。銀行の窓口なら10枚まで新札(渋沢)へ両替できるという。

翌日、会社OB会から喜寿祝いが現金書留で届き新札を拝んだ。

 うーん、偽造防止の高度技術が使われていると言うが、何となく韓国

旅行で初めて手にしたウォン札を思い出した。そう、まるでおもちゃの

お札のようなあの感じである。

 朝日土曜版beの「はじまりを歩く」によれば、初めての一万円札が

出来たのは昭和33年(1958)。前年に五千円札が発行されたのは千円札

が足りなくて印刷が間に合わなくなっていたからである。

 時の蔵相佐藤栄作が「千円札が使われ過ぎて汚い」と一万円札の発行を

提案、半年後に発行された。当初は「よほどの高級取りでないとボーナス

や暮れの月給袋には入らない縁なき紙幣」と言われた。

 しかし、好景気ですぐ想定を超える需要となり翌夏には在庫が尽きた。

この時代、千円も五千円も一万円札も聖徳太子だったのには理由がある。

 明治の時代、紙幣の肖像は日本武尊、竹内宿禰、藤原鎌足、和気清麻呂、

坂上田村麻呂、菅原道真、聖徳太子の七人に限られたが、戦後はGHQが、

これらはみな軍国主義的であると待ったをかける。

 この時の日銀総裁、一万田尚登(イチマダヒサト)が「聖徳太子は和をもって

貴しとなすの平和主義者」と主張し採用を認められた。聖徳太子が戦後だけ

でも5回も紙幣の顔になった理由である。

 

 大学時代の友人から雄大な写真が届いた。この夏、道東三座(羅臼岳、

斜里岳、雌阿寒岳)を制覇したと言う。下の写真はその雌阿寒岳山頂から

雄阿寒岳を望んだもの。私と同い年、元気なお医者さんである。


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