今朝の天声人語が伝える「現代学生百人一首」の入選作。
やはり、コロナの時代ならではの異常な生活を詠んだものが
多いが、貴重な青春時代をコロナに奪われた哀しみも伝わる。
そんな中から二首を紹介しよう。
・十年後再会しても気づくかな
マスク顔しか知らない友達
(高2女子)
・アクリル板マスク消毒ディスタンス
慣れたくなかったこんな生活
(高2男子)
正月も過ぎ静かになった大宮氷川神社への初詣の続き。
以前も紹介しているが、三の鳥居から楼門へ向かう参道の
「怪」である。
大宮駅の一つ手前、さいたま新都心駅近くから2キロほど
続く参道の延長が右の矢印、その先には門客人神社がある。
左へ曲がって神池を渡り、次に右、左と小さくクランクし
楼門を潜るのが武蔵一宮、大宮氷川神社への参道。
元々ここは「荒脛巾(アラハバキ)」と呼ばれた地主神が
祀られていたが、无邪志(武蔵)国造が出雲族を引き連れて
この地に移住し祖神を祀った。氷川は出雲の簸川(ヒカワ)。
アラハバキの神を祀る先住民は正社を出雲族の氷川神社に
譲った上、自らの神を「客人神」と謙譲したが、その社殿の
位置だけは譲らなかった。
何故ならば、その位置は春分の日の太陽の南中線と日の出、
日の入りを結ぶ線の交点にあったからである。そのために
氷川(簸川)神社は参道から逸れた西隣に社殿を建てざるを
得なかった。
氷川神社に参拝の後、分岐点まで戻り「本来」の参道から
門客人神社を参拝する。縄文時代からの先住民に敬意を表す
ためである。
先住神、荒脛巾の神は水の神。この神池も江戸時代に干拓
された広大な「見沼」の一部だったという。
戻りの三の鳥居手前、神楽殿前のおみくじお納め所は満杯
である。
長い参道を戻って大宮駅に向かう続きは次回。