旧日光街道が栃木県に入って間もなく、野木神社への長い
参道が伸びる。地図をみると社殿まではたっぷり数百メートル
はある。
創建は古く五世紀という野木神社。まずその周りに人々が
住み始め(本野木)、やがて街道沿いに馬継が始まり新野木が
出来て、併せて野木宿となった。
すぐに野木神社には向かわず街道を進むと、ここまでの県道
261号は国道4号に合流する。やがて「野木宿入口」の表示が
あり木戸があったと書かれる。
この細い道で野木神社に向かう。先ほどの参道より少し
短いはずだが、結局は三角形の二辺を歩くことになる。
着いた野木神社は大きな古木の多いところ。樹齢650年と
いうケヤキ、御神木の大銀杏(公孫樹)は坂上田村麻呂の時
というから樹齢1200年。
谷文晁の書いた「黒馬繋絵図」と算額が奉納されていると
いうがいずれも写真だけ。黒馬の絵図は浅草寺の白馬の絵図
と対という説もあるそうだ。
社殿や古木を眺めながらいつもの昆布おにぎりと五杓の
日本酒を楽しむ。古い神社の佇まいを愛でながらの早めの
昼食である。
この野木神社には、明治時代には乃木大将もたびたび参拝
したという。
覆い屋根の下、神殿の軒裏の木組や彫刻もなかなかのもの。
野木宿入口に戻って日光街道を進むと宿の口碑が立つ。
このあたりに本陣や脇本陣があったらしい。近くの広い
敷地の家がその本陣や脇本陣だった家だろう。
野木神社の別当寺という満願寺の前に、このあたりに多い
十九夜(ジュウクヤ)塔が立つ。十九夜様は女性のための神様で、
安産を願う十九夜講とも呼ばれる。
このすぐ先の交差点に、例のおばさんグループが群がって
植込みを眺めている。きっとあそこが探している野木一里塚
だろう。予想通りであった。
昼を過ぎたが、このあたりは古河宿の本陣跡からやっと
3キロ地点。今日のゴールの間々田(ママダ)駅まではまだ
6キロ以上ある。続きは次回。