昨日、事故から17年目の追悼慰霊式を行った宝塚線脱線
事故の車両が保存されることになった。神戸地検が5年間
証拠品として保管し、2011年にJR西に返還されていた。
多分、事故を受けて社員への安全教育の場として作られた
吹田市の「考動館」の隣と思われる。事故や災害の現物保存
には賛否あるが「決して繰り返してはならない教訓」として
保存・展示には賛成である。
この事故では入社同期の友人の娘さんが亡くなったことも
あり、新型の自動列車停止装置(ATS)の設置を、利益優先
のため遅らせていたJR西の「安全体質」を問う、遺族の友人
や関係者の活動を注視してきた。
遺族会を引っ張て来た浅野弥三一(ヤサカズ)氏は「保存の
形態(方法)だけが論じられ、保存する目的などロジックを
JR西は語っていない」と指摘する。
遺族としてJR西の幹部の責任を追及し続けた浅野氏だが、
保身に徹する幹部の姿を見て、ある時から「責任については
一旦置いておいて、真の原因と対策を論じようじゃないか」
と遺族、有識者、JR西からなる「安全フォローアップ会議」
を主宰し、JR西の組織的な課題をまとめた。
これについては、13年間、浅野氏の背中を追い続けた
ジャーナリスト、松本創氏の「軌道」(2018年、東洋経済)
に詳しい。