昨日は中越地震から20年。8年前の2016年の同じ10月、十日町から
長岡までの信濃川(長野県内は千曲川)沿いを歩いていた。山古志と
いう標識を見てあの中越地震を思った。
やがて左手に「妙見メモリアルパーク」、前方に上越線の上下線に
別れたトンネルの出入口が穿たれた山肌を見る。足下にはゆったりと
流れる信濃川の先、妙見堰も見え始めている。
それでもここが、母子3人が乗った車が崩れた山肌に潰され、2歳の
男児だけが4日後に救出された、あの「長岡の奇跡」の現場であるとは
気が付かなかった。
長岡の街に着き、震災アーカイブセンター「きおくみらい」に入って
見た大きな写真パネルに「ああ、あそこだったんだ!」と気が付いた。
妙見メモリアルパークの地面に敷かれた細い鉄板の先が千曲川に
向かっていた意味。我が子だけでも何とか車から出して助けたいと
いう母親の思いであったことがやっと判った。
その救出の様子(昨日の新潟日報デジタル版から)