じんべえ時悠帖Ⅱ

日野式2号飛行機と2100型SL

 日本工業大学構内にある「工業技術博物館」見学記(その5)。

体育館のような広いワンルームの展示室のどこからでも見えるのが

日野式2号飛行機のレプリカだ。

 明治の終わり頃、陸軍大尉日野熊蔵が日本初の飛行機である

日野式2号飛行機を組立てたのは、日本工業大学の前身である

東京工科学校の実習室やグランドであった。

 実工学教育をモットーにする日本工業大学には実践能力育成を

目的とした「工房」が1年から4年の卒業研究まで続く。創立百年

を記念して取り組まれたのが「日野式2号飛行機」の復元だった。

 日野熊蔵大尉(最終中佐)は徳川好敏大尉と共にフランスの

飛行学校に入学し操縦を学び、帰りにドイツのグラーデ単葉機を

購入。明治43年12月、代々木練兵場で5日後の記録会に向けて

練習した日野熊蔵の飛行が日本初となった。

 一説によれば滑走だけのつもりが浮いてしまったため図らずも

日本初の飛行となったという。19日の記録会では徳川好敏大尉の

アンリ・ファルマン機が先に飛んで成功したため、公式の日本初

動力飛行となった。

 日野熊蔵は軍人でありながら発明家。日野式自動拳銃も開発し、

量産されたという。しかし、初飛行以来順調に出世する徳川好敏

華族の出)と違い、陸軍上層部と折り合わず左遷され、中佐で

退官し、民間の発明家となった。

 

 見学を終えて博物館の玄関に戻る。そこに置かれるのは英国の

ダブス社製蒸気機関車、2100-2109形の模型。しかし、イベント時

には玄関前の周回コースで子供たちを載せて運転されるミニSL

である。

 

 その現物が動態展示されるのが玄関から見て左手のこの建物。

 日本で鉄道局の汽車監察方をしていた英国の技師が日本仕様で

設計した2100型蒸気機関車は、世界各国で製造され、総数500両

あまりが日本に輸入され各地で活躍した。

 1号機が2100番とされ、ここにある2109号機は10台目となる。

東北本線、中央本線などで活躍した後一旦廃車になるが、昭和45年

(1970)大井川鉄道で復活、6年間運転された後「静態」展示となる。 

 平成4年、産業遺産に認定されると同時に日本工業大学への寄贈

が決まり、「動態」展示に向け修復が行われ、翌年ここに到着した。

 以降、度々修理されながらも、祝休日には展示室の外まで

数十メートルの往復運転が行われている。平成20年には国の

登録無形文化財となった。

 ここ(日本工業大学)ならきっと丁寧に扱われて動く状態で

立派に保存してくれると選ばれたのだろう。構内の紅葉を愛で

ながら日本工業大学を後にした。

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
直ぐ近くの東武動物公園の方が有名ですが、日本工業大学もある事故で有名に
なってしまいました。
幕張?の展示会で出品した木製ジャングルジムが燃え、小学生が焼死する
という事故でした。
作った学生の裁判は何故か最高裁から簡易裁判所へ差し戻されています。
ykoma1949
正しく 跳んで埼玉ですよね~埼玉県南埼玉郡宮代町学園台4-1
久喜と春日部の間に・・ありました~
久喜市には 二回ほど仕事で調査に行きましたが・・知りません
でしたね~
私らは息子も長野高専で就職すると思っていたので、番狂わせ
理科学系の学生は多いのに、・・結局私の息子も土木の道へ
いろんな夢多い理科学系を如何に育成するか、将来の国力に
大きな影響・・これからは このような理系大学を目指して
欲しいものです。
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