じんべえ時悠帖Ⅱ

気仙沼に熊谷桜を、十年目

 熊谷市の地名の由来である熊谷直実。その孫、直宗が気仙沼

移封され、現在も気仙沼市民の5%が熊谷姓である。この歴史に

より、熊谷市民は東日本大震災後すぐに気仙沼市に義援金を贈る

などの支援活動を続ける。

 その一環「熊谷桜を気仙沼に植える会」の活動も今年で十年目

を迎える。熊谷桜は彼岸桜よりも早く開花する小ぶりな八重桜で、

直実が源氏の先駆け(魁)として活躍した直実に因み「熊谷桜」

という。

 熊谷市の横田氏が絶滅したと言われたこの熊谷桜を見つけ出し、

熊谷市内で育成と植樹活動を続ける一方、「気仙沼に植える会」も

主宰する。2020年以来、コロナで中止になったり事務局だけの活動

になっていたが今年は通常開催と地方版が伝える。

 これまで9年間の気仙沼への植樹数は842本、目標は「千本桜」

までだったが、それ以降も継続するそうだ。気仙沼への植樹ツアー

募集は40人。熊谷市民優先だが空きがあれば市外からもOK

 コロナ直前の第6回(2019年)に一度参加した。片道7時間の

チャーターバス移動は苦痛だが、現地での植樹会、交流会は感動、

感激の連続であった。

 今年は直宗が気仙沼入りして800年。領地だった南三陸町にも

赴き「北の恋人岬」に植樹するという。日程は10月下旬、さて、

どうしたものか。

 

今朝の日の出前、紫が強い茜空だが陽が昇るといつも通り


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コメント一覧

eme
 熊谷次郎直実の名は、小学校5年の時、敦盛の青葉の笛と共に文語体で国語の教科書に載って居ました。
jinbei1947
ワイコマ様
気仙沼駅の海抜は約20メートル、石ノ森章太郎のアニメ像を見ながら
緩い坂を下ると気仙沼港ですね。
気仙沼に限らず、この20メートルの差が大きかった。
震災から4年後に気仙沼、陸前高田を訪れましたが鉄路跡の代替バスは
やはり空しい思いがしました。
トンネルを抜けて見えた広田湾の青さ、静けさも印象的でした。
ykoma1949
熊谷市と 気仙沼市 と意外なところでご縁があったのですね~
気仙沼は二回目の市の福祉協会バスでのボランティアで陸前高田
のボランティアの時に駅の近くのホテルに泊まらせてもらって
気仙沼市も、駅を境に津波被害が大きく違って、駅より上は何の
被害もなく・・そこから海までは・・見るも無残でした。
震災後、鉄道が普及しない時に、代替えバスで2年後に通過しただけ
そろそろ、機会をみて、あの足跡を歩いて見たいものです。
出来る事なら、熊谷桜の咲くころに・・
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