九年目の「3.11」、その特集記事から。
震災2日後の釜石。避難所に救急車が来た。退屈している
3歳の息子に救急車を見せようと、お母さんが手を引いて
外に出た。
そして、救急車を見送る母子に、一度通り過ぎた消防士が
戻って来てキャラメルの袋を3歳の息子に渡し「お母さんを
助けてがんばりや」と言って頭を撫でた。
一粒のキャラメルが入っていた。
お母さんの母子手帳には、この時のキャラメルの袋と共に、
その日書いた感謝の気持ちのメモが残る。
その息子が小学校で書いた作文がある。
「つまらない気持ちでいたけれど、キャラメルをもらって
すごくうれしかったことを覚えています。
結局『ありがとう』を伝えることは出来ませんでした。」
これを読んだお母さんは「あの時、息子も救われたんだ」と
初めて知った。
この作文が地元紙に載ったのがきっかけで、この消防士が
わかった。大阪八尾市から応援に来ていた消防士だった。
数年前、別ルートで問い合わせがあった時は「自分ではない」
と答えた。「名乗るほどのことではない」の気持ちだった。
今年の1月、引退して暮らす九州で、お母さんから九年前の
のお礼の電話を受けた。
たった一粒のキャラメルが避難所の母子を励ました。
最近の江戸川散歩から。