大相撲は故郷信州出身の御嶽海が、優勝決定戦でライバルの
貴景勝を破り見事二度目の優勝。
その御嶽海は、木曽ヒノキで名高い木曽福島の出身。森林を
こよなく愛した、同じ信州出身の元林野庁長官、秋山智英の
「森よ、よみがえれ」(1990年刊)の紹介の続きである。
日本の「公害の原点」と言われる足尾銅山鉱毒事件、田中
正造らの反公害運動が、結局は国に弾圧された明治時代から
ずっと後の戦後、荒廃した山と森の復元の話である。
明治時代の足尾銅山
その製錬過程で発生する亜硫酸ガスと、製錬の薪炭、坑道
の構造材として森林が乱伐されたことにより、足尾の山々が
見るも無残にハゲ山になった。
亜硫酸ガスの発生しない自焙製錬法が確立した昭和31年
から、まず荒廃の激しい久藏沢上流の山肌から復旧工事が
始まった。
1.急峻な山肌を鍬で整地し岩屑を取り除いた後、浅い溝を
つけていく。
2.土、肥料、草木の種子と切り藁をよく混ぜた「植生盤」
を作り山肌に運ぶ。羊かんほどの固さの植生盤の間に板
を挟みくずれないように運んだ。
3.溝に沿って植生盤を置き、10センチほどのヤナギの枝
を打ち込んで止めつけ、十分に水をかける。
この作業は、樽に入れた水の運搬も含め、主に足尾町の
女性たちが行ったのである。
やがて、植生盤はガーゼに包まれた植生袋へと改良され、
打ち込む杭もヤナギの枝から鉄筋へと強化した。荷揚げの
作業もケーブルからヘリコプターへと進化する。
鉄筋を差し込んでも、強い風雨にせっかくの植生袋が
飛ばされるため、ヘリコプターで空からアスファルトを
吹き付けた。草木はそのアスファルトを破って成長した。
再掲になるが復活した久藏沢上流の山肌の写真である。
(昨日の「九蔵沢」は間違い)
昭和31年から、この「森よ、よみがえれ」が執筆された
昭和63年までの、国有林、民有林を合わせた復旧面積は、
約1,200ヘクタール。
経費は約130億円とあるが、現在との貨幣価値の差を
考慮すれば5倍くらいだろうか。
データはないが、この33年間という気の遠くなるような
年月に投入された地元住民の工数は莫大なものだろう。
その多くを担った女性パワー、恐るべしである。
尚、ここまでの写真は「森よ、よみがえれ」(秋山智英著)
から借用している。
この本が出版された20年後の2010年、当時参加して
いた失敗学会の仲間と足尾銅山を訪れた。その様子を
次回紹介しよう。