じんべえ時悠帖Ⅱ

浅間に昇る日の出

 今日は、いつもの江戸川の日の出とは全く趣の違う高山の

日の出を紹介しよう。長野の山ガールから届いた大天井岳から

浅間山に昇る日の出を見たものである。

 中学の同級生だから同い歳、まだ元気に登り続けている。

南アルプスの大天井岳から浅間山までは約70キロ。望遠とは

言え、雲海を一跨ぎすれば届きそうである。


 さて、2010年10月の足尾銅山跡訪問記(2)である。

 間藤(マトウ)駅から次の足尾駅に向かう途中にあるのが

「掛水倶楽部」。

 明治に入って足尾銅山を経営した古河安兵衛が興した

古河鉱業(現・古河機械機械)が華族や政府高官を招いた

迎賓館である。

 娯楽室には日本で最初のピリヤード台が置かれたと言う。

     

 次の通洞駅の先にある足尾歴史館には、足尾銅山で開発され、

坑内や街中でも使われた軽便鉄道「ガソリンカー」が保存され、

周回コースで乗車できる。

 足尾歴史館の館内に入り、長井理事長から説明を受ける。

今回の足尾訪問は、小野崎館長にこの訪問の後日、東京にて

失敗学会で足尾銅山の歴史をお話しいただくことがきっかけ

であった。

 この後は渡良瀬川を挟んだ足尾観光公園内に残されている

「通洞抗」などの見学となる。渡良瀬渓谷鉄道への乗車体験

と併せ次回の紹介としよう。

 尚、今朝見たネット情報によれば、当時NPO法人だった

足尾歴史館は、この春(2019年4月)古河機械金属が吸収し、

ガソリンカーや足尾駅保有車両の保存・整備部門であった、

同館「トロッコ部」は別に独立すると言う。





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コメント一覧

jinbei1947
順序が後先で失礼しました。
失敗学としては、後にどんな教訓を残したか、学んだかを
重視します。
それにしても貴族院議員を辞じて天皇に直訴し、足尾銅山
鉱毒公害への政府の無策を糾弾した田中正造はすごい。
今どきこんな政治家はいないですね。
jinbei1947
えめらるど様
上司を忖度もせず、逆らってばかり。
花鳥風月や酒とは関係なく出世とは無縁。
ひょっとしたらゴルフを毛嫌いしたことが
理由かも知れません。
えめらるど
 毎日勉強になります。文章もよろしい。ただ人生の最盛期に花鳥風月や酒などにのめり込んで居なかったら、もっと出世していたであろうことを惜しむ。
ykoma1949
足尾の鉱山から明治維新後の大きく世間が
変化するときに、俗に言う「公害」という
概念もなく、大きな事業や産業が発展して
水銀や窒素やいろんな失敗を沢山経験して
今日の経済社会の基礎となった。
その一つが足尾にも、でも・・確かに失敗
はあった、がその社会に貢献した総生産は
莫大なものがあったはず・・
失敗学研究者たちはどんな結論に??興味深い
 
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