じんべえ時悠帖Ⅱ

旧江戸川を河口まで歩く

 江戸川の中流、三郷に住んで四十年を過ぎた。江戸川沿いを

本格的に歩き出したのは、還暦後、関西への赴任を終え自宅に

戻った頃だから十数年というところ。

 そのマイリバーともいえる江戸川で痛ましい事故(事件)が

起きた。旧江戸川と江戸川放水路の分流点で見つかった遺体は、

行方不明だった松戸市の7歳の女児であることが確定した。

 2007年5月、この分流点から旧江戸川を河口まで歩いた様子を

スナップ写真で紹介しよう。

 スタートは旧江戸川と江戸川放水路の中間、地下鉄東西線の

妙典(ミョウデン)駅。地名の通りお寺さんが多いところである。

 そのお寺さんを数山廻ってから、分流点近くの旧江戸川沿いに出る。

河口からのキロポストは朝日を浴びてハレーションを起こしているが、

放水路経由の「4キロ」だったはず。旧江戸川経由は9キロである。

(正面やや右寄りの茂みのあたりで幼女の遺体が見つかった)

 左に曲がり「江戸川水門」で旧江戸川を渡り右岸に出る。

 東京都江戸川清掃工場の高い煙突を過ぎるとマリーナが続く。

 その先には屋形船の基地で乗船場や舟宿が続く。

 右手から合流する新中川の瑞穂大橋から下流を眺める。左から前方へと

旧江戸川が鋭角の蛇行するところである。壁のようなマンションが建つ

対岸は千葉県浦安市。

 400~500メートルの幅で東京湾に注ぐ江戸川放水路ほどではないが、

旧江戸川も河口近くでは200~300メートルの幅となり、釣人も多い。

 京葉線の先は東京湾、左手が東京ディズニーランド、右手が葛西臨海

公園である。早朝から歩いたのでゴールの葛西臨海公園駅はまだ10時。

休日とあって随分と賑わっている。

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
分流点の少し下流の旧江戸川には大きな水門がありますから流れは極めて
緩やかです(満潮では逆流もあります)。
きっと船の波で川岸に浮かんでいたのでしょう。
随分活発な子だったと言いますから、それが裏目になったのかも知れません。
jinbei1947
えめらるど様
投薬治療を始めて二十年、元々腎臓や膵臓の機能に少し問題があるようです。
一時インシュリンを勧められましたが拒否して投薬治療を続けています。
正常限界値の二割増しくらいで推移していますから自覚症状は何もなし。
多分死ぬまで愛飲生活を続けることでしょう。
ykoma1949
しかし、この広い大きな川で、あの小さな女の子が流されて
よく見つかったものですね~ 警察や消防の捜索もすごいですね
田舎の河川と違って、対岸にロープを張って・・なんてもんじゃない
どんな原因なのか・・今となっては、親子の自己責任であって
欲しいですね~保育園幼稚園の送迎バス事故はじめ最近は子供の
気の毒な早世事件や事故が多くて・・悲しいですね。
このようなことは防げること、親子で気をつければ・・なんですが
なかなか世のなかいろいろですからね~~
えめ
信州とは違って、広々とした眺めですね。貴殿の人生を時間的に辿ると、30代半ばで家を持たれ、長いこと単身で勝手気ままに関西に住まわれ、さぞ楽しい暮らしをなさったことと思われます。その代償として糖尿病が発症したという推測は、島田の生活ぶりと照らし合わせてほぼ納得致します。子供達が、「おやじが医者として一生掛かって得たことは、自分の腹に注射をすることか」と言っていたのを思い出します。食事毎にインシュリンを打っていました。
えめ
信州とは違って、広々とした眺めですね。貴殿の人生を時間的に辿ると、30代半ばで家を持たれ、長いこと単身で勝手気ままに関西に住まわれ、さぞ楽しい暮らしをなさったことと思われます。その代償として糖尿病が発症したという推測は、島田の生活ぶりと照らし合わせてほぼ納得致します。子供達が、「おやじが医者として一生掛かって得たことは、自分の腹に注射をすることか」と言っていたのを思い出します。食事毎にインシュリンを打っていました。
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