寒月夜ならぬ今朝の夜明け前、暁の空に二十五夜の月が
映える。零下四度、もちろん今季一番の冷え込み。
「コロナ禍の今、生の尊厳、自然への畏怖を描いた小説、
石牟礼道子(1927-2018)の『苦海浄土』が道しるべになる
のではないか(要約)」
約一ヶ月前、上の新聞記事を読んで「苦海浄土」を借りて
読んでみた。水俣病の話である。
とにかく患者の独白の部分に圧倒される。気の毒にとか、
可哀そうになどと言うレベルではない。「人間の尊厳」が
ここまで奪われるのか、と思わざるを得ない有期水銀中毒
の怖さである。
第三章に「ゆき女きき書き」とあるように、地元の出身
で患者たちから「あねさん」と慕われた石牟礼道子が書いた
ルポルタージュかと思ったが、あくまで「小説」という。
水俣の対岸、天草から来て再婚した漁婦「ゆき女」の
独白の中で、罹病前にこれも再婚の夫、茂平との夫婦船で
不知火海に漕ぎだすシーンが実に抒情的である。
しかし、患者となって病院での食事中、あまりにゆき女
がこぼすので付き添いさんが諦めて出て行ったあと、ふと、
思いついて四つん這い汁を吸うシーンがある。
「(震える)手ば使わんで、口をもっていって吸えば、
ちっとは食べられたばい。おかしゅうもあり、うれしゅう
もあり、あさましかなあ」
各患者と一度か二度はあったことはあるが「そう行ける
もんじゃありません」という石牟礼道子。患者から石牟礼
道子に乗り移った心の魂が書かせるのである。
苦海浄土は第二部「神々の村」、第三部「天の魚」で
完結するが、それは全集の中にあるという。何とか探して
読んでみよう。