新型肺炎パンデミック(広範囲に及ぶ流行病。)の脅威、真の懸念は中国の秘密主義
Another Epidemic Brewing in China
2020年1月14日(火)19時30分 Newsweek ローリー・ギャレット(米外交問題評議会・元シニアフェロー)
全国規模で人が移動する時期を前に正確な情報が求められる(春節でごった返す浙江省杭州東駅、2019年1月) REUTERS
<SARSの記憶がよみがえる新型肺炎の流行――見えない正体と少な過ぎる情報がアジアを翻弄する>
今に始まったことではない。
中国で謎の病気が流行して、香港やシンガポール、台湾にパニックが広がり、中国政府の正確な
発表を世界中が待っている。1990年代に致死的なインフルエンザが猛威を振るったときも、
2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が大流行したときも、昨秋にペスト患者が確認された
ときもそうだった。
昨年12月12日、湖北省の武漢で相次いで原因不明の肺炎患者が出た。少なくとも59人が病院で
隔離され、現在7人が重篤な状態とされている。
中国政府は例によって口を閉ざしている。中国人以外の研究者を含む専門チームが病原体の特定を
進めており、人から人に感染した明らかな証拠は見つかっていない、と述べた程度だった。
最初の患者が出てから2週間近くたった12月末に、武漢市当局はようやくウイルス性肺炎の
集団感染を発表した。1月10日の時点で、武漢で確認された感染者は41人。さらに医療関係者を
除く320人が患者と接触したとみられ、経過観察中だ。
(編集部注:1月11日に当局がこのウイルスによるとみられる初の死者が出たと発表)
感染拡大の一因は、情報の遅れだ。香港でも少なくとも16人の感染が確認され、シンガポールでは
疑いが1人。そして中国政府は、今回の肺炎の詳しい情報をソーシャルメディアに流した人々に、
懲役刑をちらつかせている。
疾病の大流行に対する中国政府の冷酷さと秘密主義は、習近平(シー・チンピン)政権にとって
好ましいものでは決してない。正式な科学的調査の最中だとしても、説明責任の欠如や、噂の流布
(と彼らが呼ぶもの)に対する厳格な取り締まりは、国際社会の不信感を増大させている。
事実を隠蔽しているのではないか、実はもっと大規模な流行ではないのか、と。
迫る春節の帰省ラッシュ
世界のメディアの大半は、「武漢肺炎」を2003年のSARSに重ねている。SARSは中国本土から
約30カ国に広まり、8000人以上が感染し774人が死亡。世界中をパニックに陥れた。
当時アジア全域の怒りを買った中国指導部は、あの屈辱の教訓を胸に、今回は情報を日々更新
するのが賢明だろう。特に、1月25日の春節が迫っている。春節の帰省では、数千万人の高速鉄道
利用客が武漢を経由するのだ。
今のところ、感染は武漢市内の大規模な屋内の海鮮市場か、その周辺から始まったとみられている。
人口1100万人を超える武漢は中国中部に位置する湖北省の省都で、市内を揚子江(長江)と
漢江が流れ、中国で最も歴史のある商業中心地の1つだ。毎日数百万人が利用する中国の
高速鉄道網のハブでもある。
つまり、今回の肺炎の流行は、2018年夏からエボラ出血熱の流行が続く、コンゴ民主共和国の
遠く離れた村での話ではない。一国の主要都市であり、国際的な貿易と移動の中心地で起きているのだ。
武漢市の保健委員会が初めて警鐘を鳴らしたのは12月30日で、公式サイトに「原因不明の肺炎の
治療に関する緊急通達」を掲載した。地元メディアが委員会に問い合わせたが、患者は27人で、
その大半が華南海鮮市場と何らかの関係がある、という情報しか得られなかった。患者は呼吸困難を
起こし、白血球数が減少して高熱を伴い、抗生物質が効かなかった。ウイルス感染が疑われた。
翌31日、湖北省当局は「27人にウイルス性肺炎の症状が見られ、ウイルス性の肺炎もしくは肺疾患に
感染していると診断された。うち2人は快方に向かっており、すぐに退院できそうだ」と発表した。
その夜、香港では、武漢を訪れた3人が呼吸困難を訴えて入院していることが分かり、香港当局は
警戒を強化した。そのうち女性1人は、SARS患者を数多く受け入れた病院で治療を受けた。
シンガポールと台湾も、空港や駅で乗客の体温検知を強化。謎の感染症を早めに食い止めようと動いた。
1月1日、武漢の肺炎はSARSと同種のコロナウイルスによる感染症であることを示す医療記録と
される文書が、中国のソーシャルメディアとツイッターに出回った。
中国当局は、SARSを含む複数の肺炎の可能性は排除されたと説明した。謎の病原体は従来の
コロナウイルスと同じ種類ではなく、SARSウイルスとは遺伝子が4%未満しか一致しないという。
一方で、武漢で8人が逮捕された。「根拠のない間違った情報をネットで広めた」罪で厳罰を
受けることになるとも、中国当局は発表。上海のニュースサイト、シックスス・トーンの
デービッド・ポーク編集長は、中国では噂の流布は7年の懲役刑もあり得ると投稿した(現在は削除
されている)。
昨年、海南島の海口で鳥インフルエンザA(H7N9)が流行しているという「噂」を微信
(ウィーチャット)で流した男性が10日間、身柄を拘束された。2018年にも、汚染された
スイカを食べて数千人が入院したという虚偽の話をした男性が投獄された。
このような噂が簡単に広まる理由はポークが翻訳した微信の投稿(既に削除)を見れば明らかだ。
「噂が広まるのは、当局が適宜対応しないからなのに、どうして私たちが責められるのか」
人から人の感染は確実?
香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストによると、武漢警察の微信アカウントには
こんな投稿もあった。「流行は実際に起きている。丸一日、正式な発表が何もないから、人々が
情報を共有しているだけだ」。同紙によれば、武漢の肺炎患者の家族は情報が入らず、入院している
病院さえ分からない人もいる。
香港でも新型肺炎に対する警戒感が高まっている。1月5日に香港中文大学の学生の感染が確認された
ときは、この学生が寮から運び出される写真や動画がソーシャルメディアで幅広く拡散された。
香港特別行政区政府は検疫法を発動させて、全ての病院や保健施設で厳戒態勢を敷いた。
ただ、昨年から続く民主化デモで、住民の間で政府当局に対する不信感が募っている。
そんななかでの検疫と感染対策(つまり当局による監視強化)に、政府の「本当の狙い」をめぐる
噂が飛び交っているのも事実だ。
一方、シンガポールでは、年末年始に家族で武漢を訪れた3歳の女児が、帰国後に重い肺炎に
かかったことが判明。症状自体は幼児に多く見られる肺炎だが、既知のウイルスや細菌が原因では
ないことが確認され、女児を隔離したことが発表された。
だが、これらの感染者と、武漢の海鮮市場とのつながりが確認され、ここから病原体が広がった
ことが判明したとしても、謎は深まる一方だ。そもそも現時点では、人間に肺炎を引き起こす
魚のウイルスは知られていない(細菌や寄生虫では存在する)。
ただ、この海鮮市場は巨大で、生きたヘビやウサギ、鳥などの野生動物も売られているらしい。
2003年のSARS流行は、ウイルスに感染したジャコウネコがされた広州の市場から広がった。
中国当局とWHO(世界保健機関)は「人から人への感染は確認されていない」と言うが、
もし武漢肺炎の病原体がコロナウイルスの一種だとすれば、SARSやMERS(中東呼吸器症候群)の
ように、唾液や鼻水を介して人から人に感染するのはほぼ確実だ。
実際、武漢市は1月1日に海鮮市場を予防的に閉鎖したにもかかわらず、翌週には新たな感染例が
見つかった。
しかしこの騒動で真に懸念されるのは、中国の秘密主義的な態度だ。
昨秋、北京で肺ペスト感染者4人が入院したときも、中国がWHOに報告したのは2週間以上も
後だった。現地のメディアで一とおり報じられた後は、ニュースもぱったり途絶えている。
このため近隣地区でネズミが蔓延している事実とのつながりや、内モンゴルで確認されたペスト
感染者との関係、そして感染がどのくらい広がり、どのように終息したかといった重要情報は、
いまだ明らかにされていない。
武漢肺炎もいつの間にか終息すればいいのだが、現時点では最悪のシナリオをたどる恐れがある。
SARSのときのような世界的感染拡大だ。
SARSが大流行したのは2003年だが、中国政府は2002年12月の時点で、見たことのない呼吸器疾患が
広州で相次いでいることを把握していた。だが、WHOにも近隣諸国にもその情報を伝えなかった。
だから2003年2月に、SARSに罹患した男性が香港を訪れたとき、香港の保健当局はこのウイルスに
ついて何も知らなかった。
男性は九龍にあるメトロポール・ホテル(現メトロパーク・ホテル)の9階に滞在し、同階の
宿泊客に感染が拡大。彼らが北京、ベトナム、シンガポール、カナダにウイルスを持ち帰り世界的な
感染拡大につながった。
中国政府はこの悲劇を回避できたはずだが、秘密主義を維持し、事実を否定することを選んだ。
彼らが中国国内のSARS流行を認めたのは、2003年4月のこと。パニックに陥った出稼ぎ労働者や
学生が故郷に逃げ帰ったため、かえって中国全土に感染を広げてしまった。
ようやく感染拡大に歯止めがかかったのは、全人口がSARSに感染している恐れがあると見なして、
無数の検温所を設置し、あらゆる人の体温を一日に何度も調べ、高熱の症状が見られる人を例外なく
隔離してからだった。WHOは2003年7月5日に中国のSARSの終息宣言を出した。
その教訓は明白。すなわち「感染を隠すな」だ。
中国政府は情報公開を
WHO総会が2005年に採択した「国際保健規則」は、加盟国が国際的な緊急事態を引き起こす恐れの
ある感染例を把握した場合は、速やかにWHOに通知すること、さらにその科学的検証のために
協力することを義務付けている。
中国はこの規則に同意しただけでなく、SARS流行時に香港で対策の陣頭指揮に当たった陳馮富珍
(マーガレット・チャン)のWHO事務局長就任を支持した。
だが、今回の新型肺炎に関して、武漢市と中国政府がWHOに提供している情報はごくわずかだ。
中国政府は国際保健規則を遵守するどころか、事実を公表した人物を逮捕して、情報を厳しく
管理したがっているように見える。その戦略は、地元住民と中国当局の関係が極めて悪化している
香港では、とりわけ危険な結果をもたらしかねない。
武漢を中心に広がる謎の病気は、ひょっとすると比較的良性で、感染者は全員無事に回復して、
日常生活に戻れるかもしれない。ただ、現時点ではその可能性は低そうだ。
感染者の発見される地域が広がり、潜在的な病原体ウイルスに関する情報が増えるに従い、
「武漢の海鮮市場で魚か野生動物に接触した人しか感染しない」という当局の説明は、ますます
受け入れ難くなっている。そして感染拡大の懸念は高まっている。
莫大な数の人が中国内外を移動する春節を前に、その懸念は一段と現実味を増している。
SARSも2003年のメイデーのときに大きく広がった。
感染症の流行を抑えるためには、専門家と市民両方の信頼が必要だ。そして信頼を得るためには、
オープンな姿勢が必要だ。中国政府が肺炎の流行について信頼できる情報を提供して、世界の
公衆衛生のために積極的な役割を果たす意思があることを示し、大衆の信頼を取り戻すことは、
中国政府自身の利益になる。
「まだ何の病気なのかは分からない。現在調査中だから、待ってくれ」と言ってもいい。
あるいは、「このウイルスがどのように広がったのかは、現在専門家のチームに調べさせている」
と言ってもいい。
重要なのは、正直な情報交換を定期的に実践すること。そしてそれを春節が来る前に始めることだ。
From Foreign Policy Magazine <Newsweek 2020年1月21日号掲載>
パンデミックはどのようにして起こるのか?