日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔
2018年12月8日 WEDGEInfinity 早川友久 (李登輝 元台湾総統 秘書)
11月24日に行われた台湾統一地方選挙の結果に対し、「心配半分、喜び半分」と語った李登輝さんの
真意とは――。唯一の日本人秘書である早川友久さんが説き明かします。
投票日前夜。この日の22時をもって選挙活動は終了し、それ以降はいかなる活動も行うことはできない。
そのため、どの候補者陣営も最後の大規模な集会を開き、数万人規模の支持者が参加するのが常だ。
国民党候補とのデッドヒートの末、台北市長選挙を制した無党派で現職の柯文哲氏
かくいう私も、台北市長選挙候補の「最後のお願い」を観察してきた。現職市長で、下馬評でもトップの
柯文哲候補と、民進党の姚文智候補の2会場だ。台北101のふもとの公園が柯文哲候補、そして姚文智候補が
台北市政府(市役所)前広場と、両者は直線距離にして500メートルも離れていない。かけ持ちするには
またとないロケーションだが、MRT(地下鉄)を降りたときから雰囲気の差がすでに出ていた
(ちなみに、国民党の丁守中候補は総統府前広場で集会を行っていた)。
若者で埋め尽くされた柯文哲の会場
改札を通り、右の出口は民進党の姚候補の会場へ、左は柯候補の会場だが、人の流れは完全に左だ。
右の出口へ向かう人はほとんどいない。
先に柯文哲候補の会場へ向かったが、まだ午後7時半だというのにエスカレーターで地上に出た途端、
警備の警察官から「もう会場は入れない。立ち止まると危険だから逆方向に歩いてくれ」と指示される始末だ。
広い会場の周囲を、縫うようにして歩き、やっと反対側にかろうじてスペースが残っているのを発見。
ステージまではかなり距離があるが、会場全体の雰囲気を観察するにはちょうどいいポジションだ。
とにかく若者が多い。スタッフとして会場を走り回っているのもほとんどが学生と思しき若者だ。
ステージでは、柯候補を支持するミュージシャンがかわるがわる登壇し雰囲気を盛り上げていく。
会場を埋めているのも若者が圧倒的に多いためか、選挙演説会場というよりもライブといったほうが
ふさわしい気がする。
この日は金曜日、時間に自由がきく学生の支持者が多いためか、柯候補の会場は早い時間からぎっしり
埋まってしまったようだ。時間が経つにつれ、仕事を終え、食事をしてから駆けつけてきたと思われる
サラリーマンやOLの姿も目立ち始めた。彼らも20代、30代が圧倒的に多い。
事実、10月に大手紙のアップル・デイリーが行った世論調査では、今回初めて選挙権を得て投票する
若者の74.4%が柯文哲候補を支持すると答えている。
あまりに違った「会場の熱気」
投票前夜ながら対照的だったのが民進党陣営だ。いったんMRTの入口から地下を抜けて反対側へ
向かうのだが、改札口近くまでは人の流れに逆行するかのようだ。ただ、それをやり過ごすと民進党の
姚候補の会場へ向かう人の流れが少ない。「こんな有様で大丈夫なのか」と他人事ながら不安になるほどだ。
会場に到着すると、柯候補の会場とは異なり、スッと中へ。
すでに午後8時半をまわり、選挙活動終了まで残り2時間を切ったというのに、集まっている支持者の
密度が全く違う。そして何よりも大きな差は、若者の数が少なく、中年以上の世代が大部分を占めている
ことだ。
民進党・姚文智候補の選挙演説会場。中高年の姿が目立つ
先ほどの柯候補の会場と同じく、こちらでも若いミュージシャンが登壇し、ラップ調の曲で会場の
ボルテージを上げようとするのだが、いかんせん支持者のおばちゃんたちがついていけてない。
ステージ上で流れる軽快なラップに懸命に合わせて小旗を振っているのだが、どうみてもテンポが演歌である。
若者の支持者の多さが勝利に直結するとは言えないが、会場の熱気、という点では明らかに柯文哲候補に
軍配が上がった投票日前夜の集会であった(結果、柯文哲候補は国民党候補とのデッドヒートを制して勝利。
民進党の姚文智候補は得票率18%弱とふるわなかった)。
「まさかあれほど負けるとは……」
統一地方選挙の結果はご存知の通り、民進党の惨敗に終わった。振り返ってみれば2014年春、
中国とのサービス貿易協定締結を強引に進めるなど、中国との過度な接近が目立った国民党の馬英九政権に
若者たちの不満が爆発。
その不満は「太陽花運動(ヒマワリ学生運動)」となって台湾全土を巻き込む潮流となり、同年秋の
統一地方選挙で国民党は「前代未聞」と言われる惨敗を喫した。
代わって躍進したのは民進党で、その勢いのまま2016年1月の総統選挙も制したのは記憶に新しい。
前回の統一地方選挙では、ヒマワリ学生運動から派生した政党・時代力量も立法委員を輩出し、国民党は
もはや消滅してしまうのではないかという見方もあったほどだった。
それから4年、蔡英文総統の誕生からも2年半が経過した。選挙前から民進党にとって厳しい結果に
なるとは予測されていたが、選挙後に民進党の関係者に聞くと「まさかあれほど負けるとは思っていなかった」
と返ってきた。前回の選挙で国民党が味わった辛酸がそのまま民進党に降りかかったかたちだ。
一部では「もはや2020年の総統選挙で民進党に勝ち目はないのでは」などという気の早い観測も流れている。
李登輝の「意外な反応」
そうなると、中国との関係を重視する国民党が再び政権の座につき、中国と接近することになるのかが
気にかかる。日本にとっても、台湾は重要な自由民主主義陣営のパートナーであると同時に、台湾が
中国とは別個の存在でいてくれることが日本の安全保障においても大いに資するからだ。
となると、今回の結果を李登輝はどう見ているのだろうか。選挙の翌々日に顔を合わせる機会が
あったので、さぞや落胆しているのかと思いながら聞いてみると「心配半分、喜び半分」だという。
「どういうことですか」と思わず聞いたが、次のような答えが返ってきた。
まず「心配」の部分だが、これはどの党が躍進したとか、誰が当選したかということよりも、あまりにも
極端な選挙結果になってしまったことで政治の安定性が損なわれるのではないか、という心配だ。
さらに、与党民進党が大敗したことで、政権は大きなプレッシャーにさらされることになる。
その結果、本来進めるべき経済政策や政治改革を実現できなくなるおそれがあると憂いているのだ。
ではもう一方の「喜び」とはなんだろうか。それは李登輝がこれまで進めた民主化、そしてここ数年来
ずっと主張してきた「第二次民主改革」に関連している。李登輝によれば、自身が進めた台湾の民主化は
まだ道半ばだという。
つまり、台湾の有権者はこれまで「選挙で投票することが民主主義だ」と勘違いしていることが多かった。
しかし、本当の民主主義とは、投票終了後も有権者自身が政治に参加し、政府や立法院を監視することが
必要なのだという。
投票して終わり、ではなく自身も政治に参加するという意識を広めることが、李登輝のいう
「第二次民主改革」なのだ。
そうした意味で、今回の選挙では、政党やイデオロギーに左右されることなく、有権者が主体性を持って
選択をしてくれたことを大いに満足しているようだ。
とにかく今回の選挙はドラスティックな結果に終わった。国民党が「党始まって以来の」大惨敗を喫し、
民進党が大勝した4年後、まるで正反対の結果が生まれたのだ。
前述のように、この統一地方選挙の結果によって、次の総統選挙で民進党が政権を維持できる可能性が
限りなく下がったと言われている。しかし、中国と一定の距離を置くことを主張してきた民進党が、
中国と密接な関係を持つ国民党にとって代わられることは日本にとっても大きな影響を与える。
2020年1月と目される総統選挙まであと1年あまりとなり、すでに総統選挙レースが始まったとも
言われている。今回の統一地方選挙の投票率は70%近かった。台湾においても若者の政治離れが進んだ、
と言われてもまだこの数字を保っている。
私たち日本人も、台湾の人々が政治に関心を寄せる熱意と同じくらいの熱意を持って、これからの
台湾の動向に関心を持ち続けていく必要があるのではないだろうか。