皇室からの贈り物を踏みにじる市民
天皇は「朝鮮王朝をダメにした張本人」

 

 2005年7月、朝鮮王朝の末裔、李玖 (イグ)の葬儀がソウルで執り行われた。李玖は朝鮮王朝の最後の皇太子、英親王の息子として

1931年東京で生まれたが終戦以降、王族の地位を失う。以後、学習院高等科を卒業後、アメリカのマサチューセッツ工科大学への

留学を経て、韓国、日本で生活していたが1996年に韓国に永住帰国。だが、事業の失敗等から困窮していた2005年、渡日し泊まって

いた赤坂プリンスホテルで心臓麻痺により死亡する。赤坂プリンスホテルが建てられた場所は、彼が子供時代、李王家邸として過ごした

場所でもあった。


 李玖の葬儀には韓国の政治家、官僚、李氏宗親会などが参列していた。ここに、「日本國天皇皇后両陛下」の名で、花輪が届けられ

た。朝鮮王族の父、旧皇族の母を持つ彼は終戦前までは、皇族待遇を受けていた人物である。終戦後は平民となったが、それでも

過去の「縁」を尊重した皇室からの「礼遇」を受けたのだ。ところが、ここでその花輪を、葬儀に参列していた一人の韓国人が地面に

叩きつけ、「日本國天皇皇后両陛下」という文字が書かれたリボンを踏みつけるという事件が発生した。朝鮮王室をダメにした張本人

である日本人が花輪を贈るなど失敬だというのがその人の主張であった。


 終戦後、何十年もの時間が過ぎ、戦争の歴史とは何の関係もない今上天皇が贈った、むしろ「礼遇」の証であった花輪に対して

容赦なく怒りをぶつける姿は、現在の韓国人が天皇に対して抱いている印象をある程度代弁しているのではないかと思う。


 これだけではない。韓国では毎年12月、駐韓日本大使館主催で天皇誕生日祝賀レセプションが行われる。

天皇誕生日祝賀レセプションは、韓国に駐在する日本人や、世界各国の在韓大使らが招かれ、毎年開かれている行事である。

このレセプションに韓国の主要企業が贈った『祝花』が大騒ぎになったことがある。マスコミが、祝花を贈った企業や経営者の名前を

掲載し、「親日的行動」だと、まるで何か間違った行動でも行ったかのように報道したからだ。怒った国民は企業のホームページや

ネットの掲示板で企業や経営者を批判し「親日派」と罵倒した。


 日本大使館が毎年定例の行事として行っている天皇誕生日祝賀レセプションに大韓航空、アシアナ航空等、日韓の「架け橋」として

活躍する企業が祝賀行事に花を贈っただけでも、国民の反感を買ってしまうのだ。ちなみに、イギリス大使館でも毎年女王の誕生日

パーティーを開き、韓国内の外交官、貴賓を招くが、それと関連する批判は起きたことがない。


 それに、時々韓国で行われる反日デモや、反日パフォーマンスで、天皇の写真を用いてそれを損壊したり、冒涜するような行為を

することがある。いずれにせよ天皇に対する「反感」が、韓国社会に少なからず存在することは否定しようのない事実だ。

 

天皇訪韓中に不祥事が発生したら、日韓関係は破たんする
まずは招く側としての社会的雰囲気の醸成が必要

 

 天皇訪問の賛成論者たちは、天皇の訪韓が両国の友好に寄与するはずだという漠然とした期待を抱いているようだが、

私に言わせればあまりにも無責任な発想だ。上で述べたような「反感」が溢れる韓国で、万が一天皇の訪韓中、一部の韓国人による

「不祥事」が発生したら、誰が責任を取るだろうか。


 日本の官僚、政治家が韓国で罵声を浴びたり、紙くずみたいなものを投げられたりしたら、それは「ハプニング」と思われるかも

しれないが、同じシチュエーションでもその対象が「天皇」になると、それが与える衝撃はあまりにも違う。天皇は日本の「象徴」

だからだ。もしそのような事態が起き、それがテレビ画面を通して日本に伝わったなら韓国に反感を持っていた人だけではなく、

冷静な立場で静観していた日本人、韓国に好意を持っていた日本人たちも堪忍袋の緒が完全に切れ、韓国に対する日本人の感情は取り

返しがつかない状況に陥るだろう。私はそれを懸念しているのだ。


 韓国政府がデモを徹底的に取り締まり、封鎖に踏み切ったとしたら、反日集会や抗議の声は抑えられるという楽観論を述べる人が

いるかもしれない。しかし、11月のトランプ米大統領の訪韓を思い出してほしい。当時、トランプ大統領の車が通る車道のわずか

数メートル前で行う反米デモを放置したのが韓国政府だ。それに、予告なしの独島エビに、慰安婦ハグの洗礼である。

似たようなことが天皇訪韓中に起きたら? 想像するだけでも恐ろしい。


 もちろん、一部の愚かで過激な行為が韓国社会全体の意思を反映するものではない。天皇の写真を持ち出して、デモで侮辱する

「一部の韓国人」がいるからと言って、韓国人全体が天皇に対して反感を持っているわけではない。しかし、問題はそのような

「一部の行為」ではなく、それに対する韓国社会の態度だ。少なくとも、私は今まで天皇の写真を侮辱するデモや行為に対して、

その過激性や非礼を批判する知識人やマスコミを見たことが無い。逆に、マスコミはその画像を伝えながら、これこそが愛国だと、

正当な行為であるかのように報道し拡散して来た。


 2015年の慰安婦合意から2年が経った。だが今も慰安婦の銅像は韓国の此処彼処で設置が進められ、自治体が「無許可造形物」で

あったそれを「公共造形物」として認めるなど「韓国の一部」として定着さえしつつある。このような状況で、天皇の訪韓を求める

など、あまりにも軽率で、無責任な主張だと評価するのは考えすぎだろうか?


 私は、これから先も永遠に天皇を韓国に招くべきではないと考えているわけではない。だが、マスコミや知識人たちですら国民感情を

恐れて天皇を「日王」と呼び、天皇の写真を侮辱することに対し批判することさえもできない現在の「空気」の中では時期尚早だと

言いたい。


 あまりにも性急に結果を求めることで、取り返しのつかない事態に陥る可能性がある、いや、今はそのリスクが高すぎる。

これが、私が天皇訪韓に反対する理由だ。


 本当に韓国が天皇の訪韓を望むのであれば、まずは歪められた「国民感情」を治癒することを最優先に行動しなければならないのでは

ないだろうか。