1945(昭和20)年8月6日、人類史上最初の原子爆弾が投下された広島市は、一瞬のうちにすべてが破壊し尽され、 一面の焦土と化した。上空に侵入した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」からの投下時間は午前8時15分。高度約600メートルで炸裂した1発の原爆に よって、同年末までに失われた人命は14万人に上ったという。
想像を絶する原爆のすさまじさは、広島平和記念資料館が編さんし、71(昭和46)年に刊行された「広島原爆戦災誌」(全5巻)に詳述されている。
特にその中の「第二巻各説第一章 広島市内各地区の被爆状況」は、市全地域を36地区に分け、地区ごとに被爆直後の状況をまとめて、市全体の惨禍が把握できるようにした内容だ。
市が委嘱した80人以上の地区委員が調査した結果に加え、被爆体験記や談話なども記述の基になっており、被害の様子が極めて生々しく表現されている。
各地区とも、文章による記録のほかに、町内単位で、原爆による人的被害と家屋被害を%で示した表も添付。人的被害では、即死者、負傷者、無傷の者の3区分で比率が書き込まれている。家屋についても、全壊、半壊、小破、無事の4区分での比率表記となっている。
これらをビジュアル化して分かりやすくするため、数値データを拾い出し、当時の地区町内単位を現在の住所に置き換えて地図上にプロット。
即死者の比率100~80%を赤い点で示してみると、爆心地から半径約1キロまで、壊滅的な被害を被ったことがよく分かった。
「第一章 序説」を引用すれば、半径500メートル以内は「ごく一部、特殊な場所にいた人を除いてはほとんど蒸発的即死」。
半径500メートル以上 1キロ以内にいた人は「五体がバラバラに裂けた」。
半径1.5キロ内外では、「倒壊した建物の 下敷きとなり、火災の発生によって、生きながらにそのまま 焼死した人々が実に多い」と記されていている。
現在の地図上に再現された被爆状況のグラフィックスと照らし合わせて見れば、無差別な大量殺りく兵器としての原爆の恐ろしさが理解できる。
参考資料
広島平和記念資料館
「広島原爆戦災誌」がダウンロードできます。