労働新聞が2015年5月9日に掲載したSLBM発射実験の様子(聯合=共同)
 
 日本の核武装の話をしながら、こうした近年の核理論とくに中位国の核武装論についてみてきたのは、ほかでもない、これから日本が幸いにしていまの平和主義を脱したさいに直面する核武装問題について、いまのうちに少しでも深く考えておきたいからだ。


 ここまで読んだ方にはご理解いただけたと思うが、日本では核兵器について論じることが完全なタブーではなかったにせよ、一般のレベルではいまもあまり語られることがなかった。その当然の弊害として、核兵器についての知識だけでなく、私たちには核戦略についての論理能力がきわめて乏しい。


 核兵器については、ともかく所有すればそれで何とかなるといった誤解も多い。これも憲法を改正さえすれば、日本が強大な独立国として復活できるという夢想とかなり近いものがある。憲法は改正してからも本当の意味で「日本を取り戻す」不断の努力が必要であり、憲法改正は終わりではなく始まりにすぎない。


 核戦略も同じで、たとえばウォルツ理論ですら核保有が戦争をなくするのではなくて「全面戦争を阻止して戦争の頻度を下げる」といっているにすぎない。そしてナランの仮説が正しいとすれば「核の選択」もまた到達点ではなく出発点にすぎない。
 

 
ひがしたに・さとし 昭和28(1953)年山形県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。国立民族学博物館監修「季刊民族学」、アスキー(株)などで編集に従事。その後、「ザ・ビッグマン」「発言者」各誌の編集長を歴任。著書に『不毛な憲法論議』(朝日新書)、『経済学者の栄光と敗北』(朝日新書)、『郵政崩壊とTPP』(文春新書)など多数。