日本の核武装を可能にするのは何か<1>のつづき
日本の核武装を容認させる
とはいえ、それが権利であっても、その権利を主張するためには妥当とみなされる論理構成つまり核武装理論が必要となる。しかし、核兵器については冒頭で述べたように、日本では頭から廃止すべきものだという固定観念が蔓延しているだけではなく、その使い方についても意外に知られていない。私が愕然としたのは、ある中小企業の社長さんたちの勉強会での経験だった。
その勉強会はいつものように経済問題のもので、何かの拍子に核問題に話が飛んだところ、メンバーのかなりの数の人が軍事に興味があって、尖閣諸島と中国の話になってしまった。私が中国の日本に対する戦略を考えるには、やはり中国が核武装していて日本はそうではないということが大きいと述べると、ある社長さんが「では、東谷さんは、中国は尖閣を核兵器で攻撃するというわけですか」と言ったので顔が一瞬凍結してしまった。
もちろん、中国が尖閣を核兵器で攻撃することは万が一にもありえない。そんなことをしたら、そもそも領海の根拠となる尖閣が消滅してしまうではないか。そこで私は「核ミサイルで狙うのは東京とか大阪ですよ」と述べたところ、その社長さんは「そんなことで尖閣をとれるわけがないでしょう」というのでしばし言葉を失った。
尖閣諸島を含む東シナ海上空。手前から南小島、北小島、魚釣島
中小企業の社長というのは勉強家で、実にいろいろなことを知っているものだ。その社長さんもおそらく一般サラリーマンなどよりよっぽど戦争とか戦略についての本を読んでいるのではないかと思われる。ところが、戦争というと、ともかくその地域を攻撃することであり、核戦略も同じだと考えたらしい。
しかし、核戦略について論じるさいには、攻撃とそれに対する報復の可能性という考え方が基本となる。また、「可能性」なのだから核戦略を考えるには想像力と推論が必要であり、核戦争は一度も起っていないのだから、実は、すべて想像力と推論の世界なのである。
この攻撃と報復について簡単に言っておくと、最初の攻撃は軍事施設であっても、報復は大量死が生じる大都市への核攻撃が想定される。最初に核攻撃した国に「耐えられないほどの報復」が、最初に攻撃された国にとって可能か否かが核戦略のひとつの論点である。いや、それが可能だと考えることから初めて中位国の核武装論が登場してきた。
ソ連が一九四九年に核保有を宣言し、五二年には英国が保有した。その次がド・ゴールのフランスで六〇年に追い付いたが、六四年に中国が核実験に成功したとき、アメリカとソ連といった超大国以外の中位国が核武装する意味を議論せざるを得なくなった。
この新しい理論に貢献したのはフランスのピエール・ガロアとアンドレ・ボーフルだった。ガロアは「ソ連に一九五六年に占領されたハンガリーが、もし、三個のヒロシマ型原爆を持っていれば、報復の恐怖のゆえにソ連は侵攻できなかっただろう」と述べて、たとえ小国であっても核兵器を持てば、大国の攻撃を抑止できると主張した。
一方、ボーフルは「中位国による独自核の存在は、その国の独立性を高めるだけでなく、同盟国の負担を軽減できる核連携戦略が可能になる」と語り、アメリカがフランスの核武装に理解を示すことを求めた。
こうした中位国による核武装理論は、興味深いことに超大国であるはずのアメリカでも登場した。
先行するハンス・モーゲンソーの国際政治学「(クラシカル)リアリズム」に対して「ネオリアリズム」と呼ばれる新しい国際政治学の創始者ケネス・ウォルツは、一九七〇年代に抑止としての核武装論を論じ始め、やがて「核保有国が多ければ多いほど、国際社会はより安定する」と主張するようになり、核理論家や外交専門家に衝撃を与えた。
もちろん、この「より多ければ、より良い」の理論に対しては反論や攻撃が繰り返された。とくに国際安全保障が専門のスコット・セイガンは「より多ければ、より悪くなる」とウォルツを批判して論争した。
その論争は『核兵器の拡散』(W・W・ノートン&カンパニー社)として一九九五年にまとめられたが、さらに論争を続けたので追加して二〇〇三年に第二版が、ウォルツが亡くなった二〇一三年にも増補して第三版が刊行されている。
核抑止論に決定版なし
ウォルツが論じたのはだいたい次のようにまとめることができる。
まず、核攻撃を受けたなら報復核で反撃する用意があれば先制核攻撃を抑止できる。また、たとえ中位国であっても核保有国は偶発による発射や非正規の使用を制御できる。したがって、核保有は抑止力を高めるだけだから、緩慢な核拡散は世界の安定に寄与するというのだ。
これに対してセイガンは次のように批判した。まず、ウォルツは中位国が核兵器を開発する間に攻撃は受けないと前提しているが、これはおかしい。また、核で報復すれば最初の攻撃国が耐えられない打撃を受けるとしているが、その保証はどこにもない。さらに、ウォルツは偶発的で非正規な攻撃は制止できるとしているが、それは信用できない。
こうした論争のなかで、ウォルツはセイガンの議論を「悪いことが起こると思うと起こる」という「マーフィーの法則」の信者のようだと揶揄し、セイガンはウォルツの議論には組織の特質が合理的判断を狂わせるという組織論的視点が、まるでないと批判した。
この論争はたいへん面白いのでなぜ翻訳がでないのか不思議だが、おおざっぱにいえばウォルツは国家を「ユニット」と呼び、世界の構造を作りあげているユニットは合理的な判断が下せると前提するのに対して、セイガンは政治・軍事組織には必ず非合理が紛れ込むと考える。
ウォルツはグレアム・アリソンがキューバ危機について『決断の本質』(中央公論社)を書いて評判になったときも鋭く批判した(『国際関係の理論』マグロウヒル社)。この本はベイジル・リデルハートの『戦略論』(原書房)と並んで経営学者の野中郁次郎氏たちによる『失敗の本質』(中公文庫)に影響をあたえているのでご存じの方も多いだろう。
アリソンはキューバ危機を米ソ双方の理性的な「合理的要素」、組織の軋轢という意味の「組織的要素」、双方の首脳の駆け引きという意味での「政治的要素」という三つの視点を移動させつつ総合的に論じようとした。しかし、ウォルツにいわせれば理論と呼べるのは合理的要素のレベルだけであって、あとの二つは理論ではないと手厳しく批判した。たとえば、組織的要素を持ち出すのは市場メカニズムを論じているときに会社経営の話をしてしまうようなものだというのである。
ここで念のために断っておくと、膨大な核理論をすべて紹介するわけにはいかないので、日本にとって切実と思われる中位国による核理論にしぼって述べている。仮に日本が核武装を検討するにしても、米露のような超大国型核武装はしないというのが前提である。
日本の核武装論者のなかで、日本が核武装すべきであり、できることなら独自核の開発を行なうべきだと考える者は、八〇年代にはガロアとボーフルの理論を取り上げ、九〇年代以降にはウォルツの洗練された理論に依拠する傾向が強かった。
それは理解できることだろう。軍事的に中位国である日本が核保有を正当化するには、単に独立国には核保有の権利があるというだけでは説得力に欠ける。ボーフルのように日本が核武装をすれば同盟国の負担が減ると論じ、あるいはウォルツのように核保有国が増えれば国際社会は安定すると主張すれば、諸外国を説得しやすいからである。
ただし、気をつけねばならないのは、ウォルツはその論理的思考の鋭さからか、理論できれいに割り切れることを好む傾向がある。それはウォルツを尊敬するミアシャイマーですら、著作『大国の悲劇』(W・Wノートン&カンパニー)の注記でウォルツの『国際関係の理論』に見られる理論経済学的思考を批判していることからも推測できるだろう。
ウォルツとセイガンの論争は、インドとパキスタンという核保有国どうしの衝突であるカルギル紛争についても行われた。セイガンはあくまでも歴史事実にこだわって細かく論じ、お互いに核を保有していても、戦争を阻止できなかったではないかと指摘した。
これに対してウォルツは、カルギル紛争は千数百人の犠牲ですんだのに、これを戦争だというセイガンは戦争の定義を変えたのかとジャブを繰り出しながら、パキスタンが攻撃を始めたときも抑制が効いており、インドが反撃にでようとしたときにはパキスタンの核抑止が働いて戦争には発展していないと断じた(『核兵器の拡散』第二版)。
もちろん、イラン問題においてもふたりは何の理論的変更もなく、それぞれのスタンスで論じた。二〇〇六年にセイガンは『フォーリン・アフェアーズ』誌に「いかにしてイランからの核爆弾を防ぐか」を寄稿してこれまでの核紛争を並べ立てた。これに対して二〇一三年、同誌にウォルツが「なぜイランは核兵器を持つべきか」を書いて、核抑止の理論は健在であり、インド・パキスタン紛争は「核保有国どうしの紛争はフル・スケールの戦争に発展しない」よい事例だと論じている
「先制核攻撃」宣言だけが抑止効果!?
私がしばしば評論やリポートを書いている経済の分野でも、ある種の理論が台頭して熱狂的なファンを獲得するが、やがて多くのケースに遭遇して、理論が完全に間違っているわけではないが、それは経済という巨大な現象の一部分やある期間だけに適用可能なものだと分かる。
経済理論と核戦略論をいっしょにする気はないが、核戦略論のほうは何せ核戦争という事例がないのだから、事実によって検証するということが困難である。もちろん、ちょっと実験してみようというわけにもいかない。しかし、もうすでに核保有国は九つとなり、戦争ではないにしても核保有国どうしの紛争はいくつも存在している。
最近、注目されるようになった核紛争理論家にMIT准教授のヴィピン・ナランがいる。名前からしてインド系だと思われるが、二〇〇九年に印パ紛争を扱った「平和のための核武装態勢とは」を発表し、かなり大胆に歴史的経験と理論を接合する試みを行なった。
二〇一四年には著作『現代の核戦略』(プリンストン大学出版)を刊行して、一部で話題になったが、ナランはウォルツのように世界の構造が国際関係を動かすことは認めるが、同時にセイガンやアリソンのように国内要素や国家指導者の資質も考慮するギデオン・ローズの言う「ネオクラシカル・リアリズム」の影響を受けていることを認めている。
ナランによれば、これまで核保有に達した中位国(ここには中国も含まれる)が採用した核戦略態勢は三つに分かれるという。
第一が、保有を曖昧にして戦略も曖昧なままにして危機のさいには第三国が介入することを期待する「媒介的核態勢」。第二が、報復は必ずやるが積極的に核攻撃はしない「確証的報復核態勢」。第三が、最初から先制攻撃の可能性を宣言している「非対称的エスカレーション核態勢」。ナランが繰り返し指摘するのは、こうした分類によって分析を行うかぎり、「核武装さえすれば抑止できる」という結論は出てこないということなのである。
ナランの初期の研究でも、前出のカルギル紛争が取り上げられている。インドが「確証的報復核態勢」を採用しているがゆえに、パキスタンは比較的安易に軍隊を動かしてしまったが、逆に、インドが通常兵器で反撃に出ようとしたとき、パキスタンの「非対称的エスカレーション核態勢」に抑止されて、本格的な戦争は思いとどまったという。
これに加えて『現代の核戦略』では対象を広げている。たとえば、保有国と見なされていたイスラエルは第四次中東戦争のさい、非保有国であるアラブ諸国が侵攻してくるのを阻止できなかった。ナランによれば、それは当時イスラエルが「媒介的核態勢」をとっていたため、非保有国の攻撃すら抑止できなかったとみることができるという。
さらに、中国については「確証的報復核態勢」を採用しているため、非保有国の侵攻は抑止できるが、「非対称的エスカレーション核態勢」をとる大国の攻撃を抑止できるかは保証のかぎりではない。しかし、イスラエルはいまや、通常兵器による攻撃を抑止するためにこの「確証的報復核態勢」に切り替えた。
2015年9月3日、北京の天安門前をパレードする中国人民解放軍の対艦弾道ミサイル東風21D型(ロイター)
こうしてみていくと、ナランの新しい理論はいまのところさまざまなケースをかなりよく説明しているように見える。核兵器登場以前の抑止例も統計的処理をして分析に加えているものの、まだまだ事例が少ない検証過程にある仮説だが、その暫定的な結論についても知っておく必要があると思われる。
「私は、核戦略には種類があって効果も違うので、核兵器を持てば抑止が働くとは思わない。いってしまえば、三つのうち『非対称的エスカレーション核態勢』のみが、核戦争の開始とエスカレーションに対して抑止として働くと考えている」
「核保有の選択」の次を見据えよ
労働新聞が2015年5月9日に掲載したSLBM発射実験の様子(聯合=共同)
日本の核武装の話をしながら、こうした近年の核理論とくに中位国の核武装論についてみてきたのは、ほかでもない、これから日本が幸いにしていまの平和主義を脱したさいに直面する核武装問題について、いまのうちに少しでも深く考えておきたいからだ。
ここまで読んだ方にはご理解いただけたと思うが、日本では核兵器について論じることが完全なタブーではなかったにせよ、一般のレベルではいまもあまり語られることがなかった。その当然の弊害として、核兵器についての知識だけでなく、私たちには核戦略についての論理能力がきわめて乏しい。
核兵器については、ともかく所有すればそれで何とかなるといった誤解も多い。これも憲法を改正さえすれば、日本が強大な独立国として復活できるという夢想とかなり近いものがある。憲法は改正してからも本当の意味で「日本を取り戻す」不断の努力が必要であり、憲法改正は終わりではなく始まりにすぎない。
核戦略も同じで、たとえばウォルツ理論ですら核保有が戦争をなくするのではなくて「全面戦争を阻止して戦争の頻度を下げる」といっているにすぎない。そしてナランの仮説が正しいとすれば「核の選択」もまた到達点ではなく出発点にすぎない。
ひがしたに・さとし 昭和28(1953)年山形県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。国立民族学博物館監修「季刊民族学」、アスキー(株)などで編集に従事。その後、「ザ・ビッグマン」「発言者」各誌の編集長を歴任。著書に『不毛な憲法論議』(朝日新書)、『経済学者の栄光と敗北』(朝日新書)、『郵政崩壊とTPP』(文春新書)など多数。
国防部総括評価局(ONA)がサポートした日本核戦争の研究報告書=日本、10年以内に核武装の可能性