コフィ・アナン元国連事務総長が死去、80歳 ノーベル平和賞受賞
18日に亡くなったコフィ・アナン氏は国連職員出身で、国連幹部時代から国連平和維持活動(PKO)の改革を
主導した。事務総長就任後の2001年には、国連に「新たな生命を吹き込んだ」と評価されてノーベル平和賞を受賞。
人間の尊厳を重んじ、各国の利害を超えた発言を続け、国連関係者の信頼は厚かった。
PKOは1990年代、ソマリアで部隊に大きな犠牲を出して撤退。94年にルワンダ、95年にボスニア・
ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで起きた虐殺事件を防げなかった。
これを受けて、アナン氏は00年にPKO改革の専門家委員会を設置。市民保護に必要と判断すれば、武力行使に
踏み切る改革を断行した。退任時には、国際社会には虐殺や戦争犯罪から市民を保護する責任があると加盟国に
認めさせたことを業績に挙げた。だが、任期後半には米国のブッシュ(子)政権が主導したイラク戦争を止められず、
国益を追求する大国への対抗手段がない国連の現実も浮き彫りにした。
また、21世紀の国際社会の開発指針を示したミレニアム開発目標(MDGs)も主導し、
「極度の貧困と飢餓の撲滅」や「HIV(エイズウイルス)やマラリアの流行防止」など8分野で目標を設定した。
01年に国連とともにノーベル平和賞を受けた際には、国際社会の安全保障で国連が果たす役割と共に、
エイズや国際テロへの取り組みも評価された。
退任後は、スイス・ジュネーブを拠点に平和運動に取り組んだ。少数派ロヒンギャ問題ではミャンマー政府の
諮問委員も務めた。
「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれるシリア内戦をめぐっては、アラブ連盟と国連の合同特使に12年に就任したが、
成果を上げられないまま同年辞任。辞任に際し、安全保障理事会の常任理事国が、アサド政権への制裁を求める
米英仏と、「制裁は内政干渉」とするロシアと中国に分裂し、「安保理は機能しなくなっている」と非難した。
事務総長だった06年、国連は人権委員会を人権理事会に改組し、人権保護の取り組みを拡充した。
ザイド国連人権高等弁務官はアナン氏の逝去後、かつての上司を「人道の模範」と呼び、「勇敢で、スピーチが明快で、
常に礼儀正しかった」としのんだ。
ガーナの名家出身。サハラ砂漠以南のアフリカ地域から選出された初の事務総長だった。
ガーナのアクフォアド大統領は18日、「ガーナ政府と国民は、偉大な同胞、コフィ・アナン氏の死去のニュースに、
深い悲しみに包まれている」とツイッターに投稿した。
過去の事務総長で名前がすぐ出てくるのはアナン氏ですね。最悪パンギムンもでてきますけど。
アナン・ギムン雲泥の差。
ご冥福をお祈り申し上げます。