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金正男氏をめぐる謎 政権転覆という呪縛。正男氏は政権転覆を主導するという呪縛から解き放たれることはなかった。

2017-02-19 16:59:09 | 北朝鮮

金正男氏をめぐる謎 政権転覆という呪縛

正男氏は政権転覆を主導するという呪縛から解き放たれることはなかった

 約15秒間の出来事だった。2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で2人の女が北朝鮮の独裁者の異母兄である金正男(キム・ジョンナム)氏に近づき、一方が濡れた布を同氏の顔に押し当てた。

空港の監視カメラ映像には、「LOL(爆笑)」と書かれたTシャツを着た暗殺者とされる女たちの1人が映っていた。

 金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の関与を示唆する証拠はなく、マレーシア当局による捜査は継続されている。45歳だった正男氏が北朝鮮に戻るという野心を抱いていた、あるいは現政権が転覆するように仕向けていたという兆候はまったくなかった。

 それでも北朝鮮のプロパガンダは同国の正当な支配者は金一族だけだと強調している。そうしたこともあり、部外者たちの多くは、異母弟の独裁政権が崩壊した場合、自由と民主主義を掲げる北朝鮮への移行を主導する人物として正男氏を担ぐことが可能だと考えていた。正男氏がこの呪縛から解き放たれることはなかった。

 韓国当局の見積もりによると、金正恩氏は2011年末に権力の座に就いて以降、100人以上の政府高官を粛清し、自分の叔父の処刑も命じてきたという。ある韓国の議員は15日、その暗殺の背景には北朝鮮の存在があると述べた。

金正男の遺体の検視が行われたクアラルンプール総合病院外で事件を報じる地元紙を手にリポートするTV記者 PHOTO:REUTERS

金正男氏は下の写真のようなタトゥを入れています。この写真の正男氏の腹部にタトゥがないので替え玉説が流れました。

在マレーシア北朝鮮大使は17日、韓国が世論をねじ曲げ、その事件を政治的に利用しようとしていると主張した。カン・チョル大使は「われわれは北朝鮮のイメージを汚そうとする敵対勢力の動きに対して強い姿勢で対応するだろう」と述べた。

  正男氏の死を取り巻く謎は、その私生活を詳しく調べても深まるばかりである。明白な政治的野心をほとんど抱かず、ポルトガル産ワインからフェラガモのローファー、アジア諸国のナイトクラブまで、さまざまな贅沢を楽しんでいた。同氏は背中に龍の入れ墨も彫っていた。

  正男氏を知る人々によると、同氏はとても聡明で、世界情勢について語るのが好きだったという。5カ国語を話した正男氏は、若い頃に学生生活を送っていた欧州で相次ぐテロ事件についても心配していた。1カ月前にパリで会ったという友人は、正男氏が独裁者の息子や孫であることを気まずく思っているようだったと振り返った。

  ある友人は正男氏について「聡明で独自の考えを持っており、自分の自由を大切にしていた」と語った。その友人によると、正男氏は「北朝鮮の人々を気の毒に思う」と言ったことがあり、南北統一に向けて努力したいと考えていたという。

  マレーシア警察はその暗殺に関与したとされる4人を逮捕した。インドネシアの旅券を所持していた女とその恋人の男、ベトナムの旅券を所持していた女、北朝鮮の旅券を所持していた男である。AP通信が報じたところによると、インドネシアの国家警察長官は17日、インドネシア人の女について、コメディ番組のいたずらに参加していると思い込まされていたと説明したという。

  北朝鮮を支配する一族における正男氏の立場は1971年に生まれたときから複雑だった。故金正日総書記と愛人の女優とのあいだにできた子供だった正男氏は、金一族の邸宅から離れた場所で育てられた。というのも、一部の歴史家によると、正男氏の祖父で北朝鮮の建国の父である金日成国家主席が正日氏の不倫を認めなかったからだという。それでも正男氏は保守的な家父長制度の第1子なので、部外者たちは同氏が最終的に後継者になると考えていた。

金王朝の家系図

 ある友人によると、平壌に住む異母弟とは別の家庭で育った正男氏は正恩氏と会ったことがなく、外国での韓国人たちと交流がうかがえる「現代的な韓国人アクセント」で話していたという。また金正日総書記のことを「プライベートでは優しく、公の場では冷たい」父親と考えていたらしい。

  モスクワやジュネーブで学生生活を送っていた1980年代にコンピューターに興味を持った正男氏は北朝鮮に帰国後、いくつかのハイテク関連プロジェクトを任された。正男氏はその仕事でアジア諸国をめぐることになった。

 2001年の日本への出張では、ドミニカ共和国の偽造パスポートで入国しようとして捕まり、中国へ強制送還されてしまった。

  その後、正男氏が北朝鮮で暮らすことはなかった。同氏は父親と良好な関係を維持し、定期的に電話で話し、まれに平壌で会うこともあるということを日本人記者に明かしていた。同氏には中国との経済関係を築くという役割が与えられていたかもしれないと指摘する北朝鮮担当アナリストたちもいる。

  近年はあまり目立たずに快適な生活が送れる中国の特別行政区マカオに住んでいたが、それでもときにはジャーナリストたちに追われた。正男氏はある日本人記者に、マカオでは当局に監視されているので、かえって自由と安全を感じていると吐露していた。

  正男氏が住んでいたマカオの高級アパートの住人の1人は17日、同氏が若くてきれいな女性と腕を組んで歩いているのを見ることがあったと証言した。同氏は結婚していたが、地元の記者たちは北朝鮮の国営航空会社で働く愛人がいると報じていた。同氏には成人した息子と娘がおり、日曜日にはカトリック教会のミサやボーイスカウトのミーティングに参加していた。マカオの雑誌の編集者、リカルド・ピント氏によると、正男氏にはホテルやアパートなど、複数の住居があったという。その内の少なくとも1つは記者たちにバレた後に引き払っていたとその編集者は述べた。