「自分でえらぶ往生際」大沢周子を読んだ
少し古い本で平成15年出版である。題名から軽い内容のものと思って読み始めたが、けっこう重い内容、陰鬱な内容、苦しい内容、後悔の濃い内容だった。
誰しも老いて死んでいく。しかし、現在は、あまりに長生きしすぎている。そこに暗い生きざまがあふれている、その今を見る。
「老いて子供と同居しない」など、老いと介護の家族の問題を一人称で7つの現実が話されている。
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■第1章 孤独死もまた可なり
とつぜんの妻の死/ワープロに残された「自叙伝」/自宅を 売って娘夫婦とマンションに住んでみた/ 「お父さんの自慢話はもうたくさんです」/八十三歳で踏みきった独居生活
■第2章 介護ビジネス
座敷牢の中の患者/夫の余命は半年から一年/身近になったがん知識/ すすむ義母の痴呆/「おふくろを引き取るから金出さないか」
■第3章 帰ってきた放蕩夫
二十年ぶりの帰宅/ローンの振り込みが途絶えた/妻にも婚費分担の義務がある/老いたときの自分を守らねば/疫病神の静かな死/静かな旅路の果て
■第4章 息子と同居して居場所を失うの
有無を言わせぬ相続宣言/台所からも追われて/潰されたショートステイプラン/「母は呆けない」の思い込み/迷惑を恐れる九十七歳
■第5章 瀬戸際に生きる
独身の姉に叱られ続けた父/疑わしい「公正証書遺言」/間に合わなかった遺留分減殺請求/心静かに生きよう/それは血尿から始まった/末期がんを生きる
■第6章 天国行きの待合室
長寿はほんとうにめでたいか/「もう運転はやめましょうね」/ 人生の卒業論文をまとめよう/ 「死んでからのち」の手続きも完了/自分に合った有料老人ホームはどれか/「思い出品」はゴミに出す/切符代は高いが座席は安心指定
■終章 アルツハイマー病の妻と十三年 田辺俊夫の介護記録より
■付記 精神科医の助言 ■付録 終の住み処の探し方
「自分でえらぶ往生際」とあるが、自分ではどうしようもない虚しさの往生際の数々。何を準備し、覚悟するのだろうか。
「家族が介護しない」「長生きしない、させない」「とにかく金の問題にいきつく」
往生際は、千差万別であり、美しくも醜いものでもある。
2泊3日の検査入院をした。整形外科の病棟のはずが、入院患者が多いために、別の病棟に入った。6人部屋である。患者と看護師との話が聞こえる。「抗がん剤」や「放射線治療」の説明が他の5人にされている。自分のことだけ心配しておこうと思っていたが、検査から部屋に帰る途中、看護師にここは、何科の病棟か聞いてみると、「呼吸器科」だと説明された。つまり、5人はみな肺がんの治療に来ているらしい。毛が抜ける話やあちこちで咳の音がすることで合点がいった。
20年くらい前にタバコをやめた。直接の契機は、海外旅行で7~9時間の飛行時間にタバコが吸えないようになったことを知った。ならば、この際止めようと決意したことにあるが、一方で、肺がんほど苦しい思いをして死ぬがんはないと聞いていたのももう一つの原因であった。
周りはすべて肺がんの患者らしい。隣では、酸素ボンベの使用方法のDVDを3回見せられている。看護師が、酸素がなくなったらどうなりますかと質問している。患者の「みんな死ぬよ」の答えに爆笑。もう一回DVD見てくださいね。「そう言うあなたは全部見たことあるの」と言われ、看護師が、「鋭い指摘しますね。見てないけど、研修はしっかりしていますよ」でまた爆笑。
どの患者も看護師も医者もみなけっこう明るい。その裏側にある、悲しみも恐れも後悔も全部出した後の淡々とした日常にもどってきているのだろうか、不思議な心地よさを感じた。
往生際、むずかしいなぁ。
<主夫の作る夕食>
4歳の孫のために親子丼をつくってみた。パクパクと大人と同じ分量を平らげた。
大人には、鶏の軟骨揚げ、コリコリ感がたまらない。
<思い出の一枚>