「医療格差の時代」 2008年の本なので、ちょっと古いけれども読んでみた。
コロナの時代、救急車でたらい回しの果てに死亡、というニュースを何度も聞いた。今までに経験したことのないパンデミックなので医療の崩壊とはいえないだろう。ただし、医療費の削減に走る日本において多くの問題が山積し始めているようだ。追い出される入院患者、産科医や小児科医の不足など15年前の問題は今でも継続している。ただし、この本を読んでみて、患者の医療格差というよりは、医者の格差が広がりが、問題になっているように感じた。医療訴訟におびえる医者、ニート化する医者、走り続けるしかない医者。ただし、それなりに高給ではあるが。
現在の中高年のお医者さんたちの医学部入学偏差値は低い所では、57程度のところも多かった。地方の国立工学部と同程度であった。しかし、現在では、頭がいいとなれば医者になる、さらに、東大理三が最高の頭脳という証明書となっている。この本にあるように「高校での成績がいいから医学部へ行く」という構図がここ数十年の主流となっている。
塾や予備校、私立高校などでも医学部合格者数が評価の基準となっている。私の教えた生徒のなかで医者の子供でなく医学部に進学した生徒がいるが、やはり、ちょっと鼻高い。あの先生のあの塾で習ったので医者になれたと言われると営業的にも嬉しい。しかし、医者の息子で医者を目指す子供も何人も見てきたが、性格的に問題がある子も多かった。難関の私立高校や特進クラスなどに在籍はしていても、成績が最下位状態なのに妙にプライドが高すぎたり、人を見下す態度が染みついたりと塾講師としても扱いにくい生徒の印象が強かった。当然、その親も扱いにくい母親父親も印象深く残っている。
医学部を推薦する高校側にしても医学部の現状もしらなければ医者の仕事を理解せずに、指導することが多いと言う。私の娘は、看護師として数年働いたが、医療ドラマは見ない、見られないと言っていた。ドラマの医者たちに「それはないだろう」「そんなばかな」「そうはしないぞ」の連続だそうだ。ドラマでは、医者と医療従事者を美化しすぎであり、それを見て医者になろうと言うのは、金八先生やドラゴン桜のドラマを見て先生になるのと同じであり、また、あり得ないことを知るべきである。ただし、学校の先生のハードワークがあまりに有名になって、今では先生が足りな過ぎて困っているそうだ。同じように、医者としての激務、格差も広がり、医局の世界に大きな失望を感じる場合も多いと聞く。頭がいいから医者という図式は問題が多い。ロシアでは、50%が女医だそうだ。娘によれば、ていねいな対応をする女性が医者として適切だと言う。
さて、現在の日本の低迷は、優秀な人材が、みな医者を目指しているところにあるのではないかと疑ってしまう。明治期の帝国大生(東大生)や頭脳優秀な若者たちは国家公務員として日本の発展に並々ならぬ努力を惜しまなかった。遅れてきた日本が、西洋列強に追いつけたのは、教育の充実と身分制度を壊し、能力をもとに登用した結果だと信じている。
「頭が良ければ医者を目指す」は、昔の中国の「科挙」と同じで科挙に受かるだけで豊かさと地位が確約されているのと似通っている。医者に向かない、医者の世界を知らなくても、医者になることが終着駅なのは、患者としての日本人にはどうも腑に落ちない部分が多い。
この本では、医者の年収の格差、医局での働き方格差など、一般の人の知らない医者の世界がつづられていて興味深かった。
最後に、この本の中のちょっとした面白い一節を見つけた。
『長生きするためのDNAスイッチは食を40%減らすことによりONになるそうだ。』
<主夫の作る夕食>
山芋を豚肉で巻いてみた。おさかな南蛮漬け。
<釜山にて>
やはり、日本とはちょっと違う。