縄文遺跡で立冬の日の出観測会
2023.11.08 立冬 天気快晴 日の出観測が出来ました
日の出 立春標識の石棒には見やすいように白い布を掛けています。
この写真は余りはっきりしていないので、次に参加いただいた Y.H.氏の撮られた写真を掲載します。
次はノーモンの影です、写真が良くないでが
石棒にノーモンの影が掛かっている
影が左に外れて行きます
金生遺跡の観測点、立春と立秋観測により、二十四節気の暦は計算通り合うことが確認できたので、縄文時代には次のような暦が造られていたと考えています。
この暦を使えば、現代の太陽暦のように、毎年のように日付がヅレることは有りません。縄文時代から立春、立秋の日の出位置は変化していないようですから。4500年間日の出位置は変わっていないとして良いのではないかと思います。公転周期で見ると、たったの4500回ですから、変わるはずがないでしょう。星の位置はズレますから、星を見ている現代の太陽暦は日付が変わってしまうようです。太陽と地球を見て暦を造れば変わらないと言うことになるでしょう。 ということで今や改暦するのが適当ではないか、グリニジの子午線は廃止と言うことでどうでしょうか。
案内
北杜市全域が太陽観測天文台であること、金生遺跡は太陽暦観測施設であることが分ってきました。
「4500年前の金生遺跡の祭りに集まった縄文人のように日の出を迎えよう」祭り!!
朝活は 立冬 11月 7日、 8日、 9日 6時頃から 7時まで 遺跡現地です
縄文時代の石棒で、日の出を観測して、冬の季節の始まりの日にちを、縄文時代には何時としていたのかを確認することになります。
主催 金生遺跡を世界遺産にしよう会
これまでの観測記録の内容は、ブログにあります
johmonkinsestar として検索していただけば、
「金生遺跡を世界遺産にしよう会」というブログがご覧いただけます。
立冬は立春と同じ位置から日の出
これまでの観測結果は日本天文考古学会にて研究発表しています 2022.10.08
※ これからの日の出観察の目的は、縄文時代の暦がどのようにして作られていたのかを知るため、
立冬前後の茅が岳からの日の出位置が石棒との関係でどのように設定されているのかを見ることが必要なので、数日掛けて観測することにしています。
太陽が変らず出ることはこの遺跡が作られるまで、何の知識も無いところから、6000年ほど掛けて知識を蓄積していたものと思いますが、現代のような天文学や物理学の無い時代には、変らず春が来るのを待ち、それを金生遺跡で確かめることが大事なことだったものと思います。縄文人と同じように太陽が出るのを観測施設でワクワクしながら待ちたいと思います。
よろしくお願いします。
2023.10.04