聖なる数 3,6 発見時期は堀之内式土器の時期か
訂正します 聖なる数6 は太陰暦が作られたときなので、これよりもずつと以前です。最近の調査結果からは、縄文早期と分りました。
神秘数3 太陽暦と太陰暦が一致することが分る。太陽暦で45日/3 15日 二十四節気の暦が出来たから、月の暦太陰暦と合わせることが出来たから。
堀之内式土器は太陰暦と太陽暦の繋がった神秘数3 発見の画期です
縄文中期から後期初めの頃になる
聖なる数3突起の土器
聖なる数6突起の土器
当然 太陽暦の神秘数4 は知っていた
金生遺跡は縄文後期半ば頃成立とされ、堀之内式土器の時期に遅れていて、重なる時期で神秘数3 を知っていたはずなので、時期的には合うと思う。
写真はお借りしました
引用ーーーーーー
4 「日本土器事典」における堀之内式土器記述の抜粋
「堀之内1式
器形は、深鉢、鉢、浅鉢、甕、注口土器がある。
文様は沈線によって蕨手文・懸垂文・渦文・倒卵文など曲線の多いものが描かれる。
東関東では縄文地に、西関東では無文地に描かれるという地域差がある。
口縁部に沈線がめぐり、3単位ないし4単位の小突起がつけられ、その部分に貼付文や刺突文が見られるのが特徴の一つである。
堀之内2式
一般に器形は小型化する。鉢とコップ型の深鉢が主体的となる。
1式では縦位に模様が展開するのに対し、2式ではそれが横位になる傾向が強くなるため、施文部の横位区画が認められるものが多い。
器面の黒色化も目立つ。」
「日本土器事典」から引用
ーーーーーー
堀之内貝塚(ほりのうちかいづか)
堀之内貝塚公園
貝塚文化最盛期である縄文時代後期前半(約4000年前)から貝塚文化衰退期の縄文時代晩期(約2500年前)にかけて形成された遺跡です。
貝層は東西に長く、長径225メートル、短径120メートルあり、北西部を屈曲部とした馬蹄形(ばていけい)貝塚です。
出土品は数多くありますが、なかでも土器は堀之内式土器と名付けられ、土器編年のうえで縄文時代後期前半の標式土器になっています。また、縄文時代晩期の出土品としては土偶破片、貝製腕輪など非実用的で呪術的な品々があり、このころ「祈り」が人々の心に広まっていたことが分かります。
貝層下からは縄文時代後期初めの住居跡が発見され、そのほかに埋葬人骨も検出されています。発掘された貝類や魚・獣骨から、当時の人々はアサリ、ハマグリ、イボキサゴ、クロダイ、スズキ、イノシシ、ニホンジカなどを捕食していたと考えられますが、魚介類に限っていえば浅海や干潟で比較的容易に捕獲できるものが多く、遺跡周辺の豊かな自然から恵みを得ていたと推測されます。
堀之内貝塚では明治時代以後何度も発掘調査が行われていますが、その調査の過程は縄文時代文化研究の学史であり、貝塚文化の消長を知る重要なものといえます。