金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

カレンダー

月が消えて、新月が見えるようになったとき
叫んだという それがカレンダー

引用ーーー因みに、カレンダー「calendar」は、「朔日」を意味するラテン語「calendae」から来ているのだそう。古代ローマ時代に太陰太陽暦が使われていたことの証です。新月(*)の細い月の線が見えると、神官が「新月(*)が見えたぞー」と大声で叫んで、新たな月が始まる宣言したのだそう。その「叫ぶ」という行為をラテン語で「Calo」と言ったことから来ているのだとか。カレンダーの語源からも、太陰暦との関係が裏付けられます。
*この場合は「新月」は初めて見える月の意味での新月です。この場合は二日月くらいの細い月。月が太陽と重なってしまって全く見えない場合も「新月」という。昨今では「新月」と言えば、見えない「新月」の解釈のほうが多い。ーーー

知りませんでした。
それなら11.05日は月が消えていて、11.07日に新月が見えればそれがぴったりの朔旦立冬で良いというわけでしょう。
金生遺跡は立冬、立春を観測して毎年の暦の校正と朔旦を見ることで、太陽暦と太陰暦の一致を観測できる、縄文人はこれが分っていて、この立地に天文台を置いたのだろう。
このようなものは世界の何処にもこれまで想定されていないのだろうと思う。何故なら、このような話はこれまでいろいろ調べてきたが、出て来たことは無かった。

引用ーーーーーー

夜明けと日暮れの定義
夜明けは古くは1日の始まりと考えられた.江戸時代,薄明の始まり(夜明け-明六つ),終わり(日暮れ-暮六つ)を昼と夜の境としていたが,一般に使われていた不定時法では季節によって昼と夜の長さが変わった.寛政暦(寛政10年施行-1798)では,京都における春秋分の日の出前(日の入後)の二刻半(一日を100刻に分けた時刻法) -現在の36分- を薄明の始まり(または終わり)とした.その時の太陽の伏角は7度21分40秒になる.年表掲載の東京の夜明,日暮は,この寛政暦での定義を用いている.
1日の始まり…
元々「1日」というのは地上から見た太陽の周期 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5
日没時:太陰暦では、月の始まりを日没時に見える新月(三日月状の細い月)が観測される時点としていたので、1日の始まりは必然的に日没時となる。イスラム暦やユダヤ暦で用いられている。キリスト教の教会暦も、このユダヤ暦を継承している。ユダヤ暦や教会暦では、1日は闇で始まり、やがて光に満ちるのである[注 2]。
例えば「クリスマス」の1日は、常用時での12月24日の日没時に始まり、常用時での12月25日の日没時に終わる。したがって、クリスマス・イブとは、「クリスマスの前日の夜」ではなく、正に「クリスマスの夜」なのである(クリスマス・イヴ#クリスマス・イヴの日付の図も参照)。全世界のキリスト教の膨大な数の信徒(最も信徒数が多い)がそうした考え方に馴染んでいる。
1日の始まりは必然的に日没時となる…
夜明けや日暮れ…夜明けの晩…
「夜明けの晩」の「晩(ばん)」の意味について軽く確認しておきたい。 まず主な意味合いとしては、太陽の動きに合わせた朝・昼・晩の区分における晩、いわゆる日暮れの状態を表す用法がある。 次に、太陽の動きとは関係なく、「晩年」や「晩秋」のように、時期的に遅れていること、ある期間の最後の時期を示す用法もよく見られる。
『かごめかごめ』の歌詞から「夜明けの晩」についてhttp://www.worldfolksong.com/songbook/japan/warabeuta/yoakenoban.html
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暦のはなし~カレンダーと月の関係 カレンダーがなかったら? 暦 カレンダー 永寿院
暦のはなし~カレンダーと月の関係永寿院
トップページへ2014-05-15 田村律子
暦のはなし~カレンダーと月の関係 カレンダーがなかったら? 暦 カレンダー
カレンダーがなかったら?
もし突然、この世から時計が無くなってしまったら?カレンダーがなくなってしまったら?
そんな世界は想像もつかないほど、それらは私達には手放せないものとなっています。

時計は太陽の位置である程度の時間が確認できますが、カレンダーがなかったら今が何月何日なのか何で知ればいいのでしょう。

現代の私達は手元に腕時計を持ち、どこにでもある時計を見ながら時間に追われるように生活しています。そして、毎年新しく印刷されるカレンダーを見るだけで、今日が何年の何月何日か当然のようにすぐにわかります。あまりにも当たりまえになっていますけれど、時計さえもない時代に生きた人々はいったいどうやって生活していたのでしょうか。

トム・ハンクス主演の映画「キャスト・アウェイ」は、貨物飛行機の墜落によって無人島に流されてしまう男の話です。何年も無人島でサバイバル生活をしていく中で、墜落してから何日が過ぎたのかを岩に刻みながらも、果たして今日が何月何日なのか自問するシーンが印象的でした。もし、同じような状況に陥ったら、恐らく私達も彼と似たような状態になってしまうことでしょう。そして、昼は太陽で時を測り、夜に輝く月や星を見ながら日数を数えはじめるかもしれません。

暦のはなし~カレンダーと月の関係 カレンダーがなかったら? 暦 カレンダー
月からできた暦「太陰暦」
古代、太陽や月や星の運行から、廻る季節の規則性に気づいた人々は、現在のカレンダーの原型のようなものを作りました。太陽の巡りでも日を数えられますが、月はさらに細かく日を分けることができました。月の様相は日々変わるからです。その為、暦は全て太陰暦から始まったとされています。太陽暦でも一ヶ月が約30日なのは、太陰暦から引き継がれたことの名残といわれています。

日本では「一か月」という言葉に「月」が入っていることや、日本神話に「月読み(ツクヨミ)」という月の神様がいらっしゃることからも、月と暦の関係は容易に想像できます。

「一ヶ月」を表す英語「Month」も、月「moon」の語源とつながりを同じくし、古印欧語の「Men」から派生しているとされています。この「Men」は「測る」という意味があって「measure(メジャー)」や「meter(メーター)」なども同じ語源です。

因みに、カレンダー「calendar」は、「朔日」を意味するラテン語「calendae」から来ているのだそう。古代ローマ時代に太陰太陽暦が使われていたことの証です。新月(*)の細い月の線が見えると、神官が「新月(*)が見えたぞー」と大声で叫んで、新たな月が始まる宣言したのだそう。その「叫ぶ」という行為をラテン語で「Calo」と言ったことから来ているのだとか。カレンダーの語源からも、太陰暦との関係が裏付けられます。

*この場合は「新月」は初めて見える月の意味での新月です。この場合は二日月くらいの細い月。月が太陽と重なってしまって全く見えない場合も「新月」という。昨今では「新月」と言えば、見えない「新月」の解釈のほうが多い。

暦のはなし~カレンダーと月の関係 カレンダーがなかったら? 暦 カレンダー
世界最古のカレンダーは月の暦だった
現存する世界最古の暦は、メソポタミア文明の初期に起ったシュメール都市文明のものです。シュメールの暦は1年が354日の太陰暦でした。一ヶ月は新月から次の新月までの日数で、30日の大の月と29日の小の月を交互に繰り返していたようです。また、シュメールでは月の代表的な様相とされる「新月」「下弦月」「満月」「上弦月」に祭りを執り行っていたようで、それが現在の一週間の起源になったのではないかともいわれています。

シュメールの一年は春分の日を基点に始まったとされています。春分の太陽の位置を確認していたということは、既に、太陰太陽暦になりつつあったのかもしれません。
チグリス・ユーフラテス川にはさまれた肥沃な土地であるメソポタミアでは、紀元前7000~6000年くらいに小麦栽培が始まったとされており、シュメール人たちは灌漑をすることで、農業の生産性を大変高めることに成功しました。そして人口はだんだん増え、王権が成立し都市国家が広がっていきました。

シュメールの暦の「月」の名前には「羊に大麦・水を運ぶ月」や「牛を登録する月」など農耕との関係性を示唆するような月名が付けられています。また、地方によって祭る神様が違っていたようですが、その地で祭られていた神様の名前が月名になっているものも多く、神へのお祭りや農業の記録としての暦の役割もあったのだろうことが想像されます。

夜空の月から日を数えることは、洋の東西ともに暦の始まりだったのです。


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