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日本天文考古学会 研究会 原案
1.1 金生遺跡全景
1.2大配石 1号配石
1.3大配石全景写真
1.4.配石とノーモン
ノーモンは一年に一度使うだけなので、邪魔にならないように、また観測方法の秘密を守るため、 取り外していたものだろう
2.1 立春 石棒 ノーモン 茅が岳
2.1.1 初光の影 ノーモンから石棒へ
立春観測には観測精度を上げるため、ノーモンの影を40メートル程の距離まで拡大して観測している。
2.2 立秋 石棒 ノーモン 飯盛山
2.2.1 初光の影
左から3番目の影がノーモン 男根型石棒に当たっている
2.3 冬至 日の入り ノーモン 甲斐駒ヶ岳
2.4 配石と太陽暦
3.1 ランドスケープ 東 日の出 山脈
飯盛山 茅が岳 冬至の日の出
3.2 日の入り 甲斐駒ヶ岳
4.1 北杜市全図
4.2 北杜市天文台の全景 中心位置に金生遺跡・大配石での太陽暦観測施設がある
5.1 金生遺跡出土 土器 暦作りの試行錯誤の跡
暦の完成 二十四節気の暦を造るため、太陰暦とシンクロして使用するため 3を利用することに なった。
太陽と月という二つの天体の運動を繋ぐ、神秘数が 3 である。
5.2 波状突起口縁の土器の変遷図
5.3 波状突起口縁の土器の突起数の変遷
縄文時代早期 2、4、6
縄文時代前期 8、12
縄文時代中期 3
縄文時代後期 5、7
5.4 突起数の変化は太陽暦と太陰暦の開発進化として捉えることが出来る 早期には
2 冬至と夏至の半年 365日/2 182日という数字を得ていた
6 月の朔望周期約30日 182日/30日 半年 6回という数字になる
4 同様にして182日/2 91日 春と秋 春分、秋分の季節を把握した
さらに 91日/2 45日 季節の境目を認識 季節の始まりを捉えていた
立春、立夏、立秋、立冬
暦の作成開始時期を栽培暦を効果的に利用するために立春に早めていたと考える
5.5 縄文前期には一年サイクルの暦を開発していたものと考える
8 八節の暦の完成 太陽暦
12 一年12月の月の暦 太陰暦
5.6 縄文中期にはこの二つの暦を地域により並列利用できるようになった
太陽暦 45日/3 15日の暦 二十四節気の暦が出来て
太陰暦 30日/2 15日の暦 二十四弦の暦を作った
この暦で朔旦立春の観測により19年毎に一致して メトン周期、
毎年立春観測すると同時に、月相を観測することで、それ以外の年でも
太陽暦と太陰暦の換算が出来ることになり、暦の違いが地域間の交流の上で障害とならないよう に出来た
5.7 5、7の数字は地域に応じた暦での生業の取りすすめを効率よくした
5 15日/3 5日 七十二候の暦となることで、作業の効果的取り進めが出来る
7 15日/2 7日 海の潮の方向を予測して海辺の生業をうまく計画できる
縄文時代後期から晩期には、ここまで暦は進化していたものと考える。
5.8 金生遺跡での発掘されている土器からは、太陽暦開発の試行錯誤が行われたと考える
掲示されていた土器の中に、32突起のある土器が存在する。これは45日を3で処理するまでには、45日/2 22日や 22日/2 11日などという処理で、暦の区分検討を行っていた形跡゛あると思う。
45日/2 16突起の土器
22日/2 32突起の土器
これらは月の暦とのシンクロを計るものとは成らなかったため、採用されなかったものと考える。
6.1 龍安寺石庭
龍安寺石庭を 4000年遡る金生遺跡大配石の太陽暦観測施設石庭 この3倍の大きさ
終わり