縄文時代の始め、縄紋土器の模様付けは次のような方法でやっていたようです。
草創期の多縄文土器の時代には、縄を押し付けるなどして模様をつけていました。
早期(BC10000~5500)初頭になると、回転押捺手法によって縄文を施す技法が成立した。縄をそのまま回転押捺したものが「縄文」
心棒に縄を巻き付けて回転押捺したものが「撚糸文」と言います。
続いて登場する「押型文」は、
棒に直接刻みを入れた押型を回転させて紋様を描き出していきます。縄紋土器の模様付けは纏めるとこのようになる。
縄紋土器にはこのように始めの無文土器から、模様が発展した歴史経緯が全て残されている。
シュメール文化で特徴として、円筒印章・回転印章が使われているが、シュメール人の起源と同様に、この起源は歴史的経緯が判明していないことから、縄紋土器の模様付けと同様なところから、縄文人から伝わったと考えても、時代的には齟齬は無いという。
二至二分の暦、春分の知識は、縄文人からと考えたが、シュメールの神像に見えた縄文人のポシェット ハンドバック もそうだった、シュメールの特徴ともされるような円筒印章・回転印章の使用に於いても同様な文化が見えたことになる。
縄文早期には太陰暦を示す6突起の土器があり、半年一年暦の月の周期は知られており、シュメールの太陰暦も縄文起源と考えてもおかしくない。
さらにはシュメールには最初の人が東から来たという伝説があるようだ。
引用ーーーーーー
草創期の土器の模様は
無文→豆粒文→隆起線文→爪形文→多縄文
の順で登場しています。
草創期の多縄文土器の時代にはまだ縄を押し付けるなどして模様をつけていましたが、
早期(BC10000~5500)初頭になると、回転押捺手法によって縄文を施す技法が成立したのです。
縄をそのまま回転押捺したものが「縄文」
心棒に縄を巻き付けて回転押捺したものが「撚糸文」と言います。
++++そうなのか
そして( ・??・?)っ
続いて登場する「押型文」は、
棒に直接刻みを入れた押型を回転させて紋様を描き出していきます??
あれ(?? - ?`?)??
????
それって回転印章じゃん(´?ω?` )
??明治の学者が50年も思いつかなかった方法…
メソポタミアの回転押捺の特許は、縄文人が5000年以上早く取得していたのです??
日本人の祖先はシュメール人では無いかという説が明治の頃から言われています。
違うんです。
シュメール人の祖先は縄文人なんじゃないか????
が、正しい研究テーマなのです。
メソポタミアの住居が竪穴式住居から始まる。これを調査に行った日本人考古学者がいます。
彼は竪穴式住居と同時期に土器の出現が無いかを調査しましたが、今のところメソポタミアでは土器は竪穴式住居より1000年遅れて出現します。
竪穴式住居と同時期に「縄文」土器が発見されたなら(☆∀☆)事件です。
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ウルク古拙文字は、ウルク期後期に一応形が整ったが、ジェムデト・ナスル期になると大きく変化する。絵文字からシンプルかつ抽象的なデザインに変化した。さらにこの時期に「楔形」の筆跡が現れた。
文字はもっぱら行政に使われていた。例えば食糧の配給や家畜その他のリストの作成などに使われた。都市または集落の中心となる建物の跡からは、食糧の配給などが書かれた粘土板の他に円筒印章や円筒形の印章が見つかった。南メソポタミアの各遺跡から、各都市を表す印章が発掘されていることから、お互いに密接な交易または交流があったと推測されるが、南部メソポタミアを越えてどの程度の文化的広がりあったかは明らかではない。
楔形文字が、完全な文字体系に整備されるのはBC2500年頃である。数字の表記法は2種類あった。1つは60進法で人や動物の数を表す時に使われた。現代では時間や角度を表す時に使われる。
++++そうなのか
BC4千年紀後半に円筒形の印章がメソポタミアに出現した。サイズは長さ1cm~6cm直径2~3cmで、材質は瑪瑙・クロライト(緑泥石)・ラピスラズリ(瑠璃)・大理石・ヘマタイト(赤鉄鉱)・貝・テラコッタ(素焼きの粘土)など様々、この小さな円筒印章は表面全体に彫刻が彫りこまれ、その名の通り円筒状で、転がすことにより連続した文様を速やかにつけることができる。初期の図柄は幾何学文様、植物文様、動物文様などあったが、時代とともにその図柄も変わってゆき、神話や人物、そして楔形文字も刻まれた。象徴的な構図を構成した複雑な図柄を写し出しながら、実際に柔らかい粘土に安易にころがされた。必要に応じて何回も複製することができるこれらの印影は、このようにして所有権の目印に利用するこができたのである。
しかし、これらの円筒印章の登場は、社会全体に決定的な変動をもたらした。その重大な表れのひとつに文字の誕生を伴った最初の都市の誕生である。円筒印章の図像は、都市の中で優先した新しい社会組織を反映し、そこを支配する人物像、王(祭司)の像である。
やがてBC5千年紀より商品の貯蔵や輸送の安全を保障する認証捺印には、平らなスタンプ印章が使われてゆく。
「都市」リストには、最初の4行で、ウル・ニップル・アダブAkarma・ウルクが記される。リスト冒頭のウルがもっとも権威ある都市であったのだろうか。たしかにウルは、ウバイド時代から続く都市開拓地ではある。リスト成立当時では、ウルクの規模にはるかにおよばない。
アッカド地方キシュ近くのジェムデット・ナスルから出土した10をこえる粘土板には、上述の4都市をふくむ計17の都市名が表象されている「集合都市印章collective cityseal」が押されており、さらに、おそらくテル・ウカイル(古代名ウルム)から出土した印章にも、同一の印影が使われる。
その「集合都市印章」は、ウルクのイナンナ神殿の祭祀費用の負担に関係すると見ている。「集合都市印章」や「都市リスト」は、既に南部メソポタミア、後のシュメール・アッカドの両地域を、当時の人々は文化的・政治的に同質な世界と認識していたようだ。ただ、ウルが当時最も権威ある存在となっていたかどうかは分からない。なお、「都市リスト」が記す地名が、さらに南部メソポタミアの領域を越えてどの程度の広がりをもっていたかは、未だ明らかではない。
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4000 --- ・このころシュメールがメソポタミアに移住?
・都市化の開始
行政施設や軍事施設とみられる建物が出現、
武器が発達
・数字記録の出現
※このころから気候の寒冷化と乾燥化
ー ウルク期
・文字(絵文字)の発明
・円筒印章の発達、
※エジプトこの頃初期王朝形成
☆都市国家の形成、巨大な神殿の確立、交易の拡大
--- ☆統治方式 (「民会」と「長老会」による民主制)
3000 ジェムデット ・粘土板文字記録システムの成立
ナスル期 ※この頃西方のエラムのスサで都市国家形成
--- ・絵文字から楔形文字への移行
・都市間の抗争激化
☆Ⅱ期になると各都市国家に「王」が登場してくる
初期王朝 ・ウルの王墓
時代 ・シリアの都市マリやエブラの繁栄
ー ・土地私有の始まり?
☆「王」の世襲化、貴族層・平民・隷属民への身
分制の発達
※この頃インダス文明始まる。
図はお借りしました